- 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/10/09
- メディア: 文庫
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「本を読む」以外の周辺事情は昔と比べて結構変わってきましたよね。まず昔は今みたいに情報が溢れてなかったので、みんなが読んでいるような本を気合で読めばそれでよかった。それ以上の人はあまりいないし、出現しようがなかったので。そこが現代ときたら毎日毎日大量の本が出版されるわ、ネットを開けば情報があふれかえっているわで、かつてない情報の波に襲われている状態なわけで。そんな情報があふれかえっている中であえて本を読む理由っていうのも、もちろんたくさんあるわけであって、いやむしろウェブの出現によって「本を圧倒的に選別しやすくなった」ので、今はむしろ本には優しい時代になった…と思いきや、「簡単に選別されちゃ困る(一部の本しか売れなくなっちゃうよ!)」みたいな理由で(かどうかはしりませんが・・・)「本の出版点数がどかどかどかー!!」っと出てくるせいで読者側としては混乱の極みですよな。そそ、何が言いたいのかわからなくなってしまいましたけれど、言いたいことは「混乱の中だからこそ読書の技術を学ぶべき」ということです。べつに混乱してなくたって本を読む技術は学ぶべきですけれどね。戦争をしていないからといって軍隊が訓練をサボっていいわけじゃないでしょう。つまりは「なんでもいいから本を読む技術を学べ」です。
なぜ「なんでもいいから本を読む技術を学べ」を実践しなくてはいけないのか、つまりは「なぜ本を読まなくてはいけないのか」というと、一番それが「何かを学ぶ」上で、お手軽な方法だからです。教師の講義を聞くということと、本を読むという行為は多くの点で読書と似ていますが、教師は自分の都合ばかりで動かすわけにはいきません。学校を卒業したら往々にして教師とはお別れですからね。そこで、本を読む技術を身につけるということは、時間軸、地理軸問わず世界中の教師をその一瞬で手に入れることに等しい。一生の間学び続けようと思うのならば、本を読む技術を知っているにこしたことはない。そこで出てくる「なんで一生学ばないといけないの?」という問いかけに対しては内田樹先生にならって、絶句を答えにするしかない。「絶句を答えにするしかない」の意味を要約するならば、「なんで勉強しないといけないの?」と問いかけるような人は、「自分が勉強ができない状況に追い込まれたところを想像できない人」だからです。自分たちが学ぶことができる状況にいる幸せが理解できていない。それは子供だからということでもあります。多くを知らないから。しかし大人がそこで「これこれこういう理由だよ」とわかりやすい答え「大学に入って裕福な生活をする為だよ」みたいなものを言ってしまうと、子供はそんなのいらない、といって勉強をやめてしまう。何と答えても、その答えは「教育が何か別のものと等価交換できるものである」と教えることになってしまう。たとえば、「大学に入れれば勉強しなくてもいいんでしょ?」みたいにね。だから「なぜ学ばなければいけないのか?」という問いに対する答えは「絶句(いつか自分で気づけよ))」なのです。