- 作者: 柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2009/06/19
- メディア: 単行本
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そう、そんな優れた聞き手である柴田元幸が、「テス・ギャラガー」「ベン・カッチャー」「リチャード・パワーズ」「ケリー・リンク」「スチュアート・ダイベック」「村上春樹」「バリー・ユアグロー」「ロジャー・パルバース」「古川日出男」「沼野充義」「内田樹」「岸本佐知子」「ジョン・アーヴィング」の計十三人にインタビューしたのが本書です。一人でもピン! ときたら、まあ読んで損はないかと思います。ぼくが一番熱心に読んだのは「村上春樹」。あまり人前に出てこないことで有名なわけで、こうやってインタビューが読める機会があるというのはとても素晴らしいことですよな。内容は結構抽象的な話も多く、読んでも内容が頭に入ってこないこともありますが、例えばこんな風に。
極端なことを言ってしまえば、小説にとっての意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう「倍音」みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞きとれないんだけど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです。
どういう文脈でこの話が出たかというと、読んだ後心に残る小説とは何か、という話です。その例として「キャッチャーインザライ」があげられていて、なぜ心に残るのか? の問いに対する答えとして出されたのがこの「倍音を出すから」というものです。そんな事を言われても、正直なんのことやらと思ってしまうのですけれども、実感としては理解できるんですよね。ある特定の作品は、時々「これ、物語なんかいらないんじゃない?」という気分にさせてくれることがままあります。物語は単なる容器にすぎなくて、おれぁこの中に入ってるものが食べたいんだよ! ということを改めて実感させてくれる小説…。しかしこれが、他の小説とどう違うのかといえば非常に説明困難です。あくまでも観念の話ですから。観念を言葉にしようとしても、それは違うものにしかならない。たとえば「わたし/ぼく のどこが好き?」みたいな問いに「〜〜が好き」と答えることはできたとしても、それは多分的確ではないですよな。そんな感じです。
さてさて、「倍音とは何か」については内田樹先生が詳しく解説しているので説明してみます。倍音は簡単に言ってしまえば、「一つの音源から複数の音が聞こえること」です。しかし人間の耳は「一つの音源からは一つの音しか聞きとることができない」というルールを持っています。そうしなければ、音が聞こえてきた時にそこから位置を把握し、避けたり向かっていったりすることができなくなってしまうからです。しかし「一つの音源からは一つの音しか聞きとることができない」とはいっても、実際にこの世界には倍音的なものはありうるわけです。それを実際に脳が聞きとってしまった時にどういうことが起こるのか。ここからが内田樹流村上春樹倍音論における「跳躍」の部分なのですが、「脳は倍音を聞きとれない」→「しかし倍音は現に存在する」→「脳はその矛盾を解消するために倍音は天から聞こえてきていると仮定する」→「聞き手は自分が作り出した架空の天の声を聞き勝手に感動する」だそうです。ここでは必然的に天とか天使とかいう概念が必要になってきますので、そういう概念を持っていない人は倍音による効果は薄い、あるいはまったくない。
仮に倍音がそういうものだとして、だからどーしたっていうとべつにどーもしないんですよね。ただ村上春樹が世界中で読まれている理由の一つとしてはありかな、という気はします。要するに村上春樹の読者は、国も宗教も考え方も違えど「倍音的な効果」によって、小説の中に自分だけの天からの声を勝手に聞き取って勝手に満足しているんじゃねーの? っつー話です。
結局村上春樹のことばっかり書いてしまったけれど、別にこんなことが書きたかったわけじゃないのですよな…。一度消して最初から書きなおすかもしれませんそのうち。