基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

マイマイ新子を見ずに年を越すんじゃねえ!──マイマイ新子と千年の魔法が凄すぎて号泣した

子供はおもちゃが好きだけれど、彼らがそれを手にするとき、イメージしているものは本物なのだ。おもちゃというのは、この想像力を持っている者でないと楽しめない。大人になって、おもちゃがつまらなくなるのは、想像力が衰えるからである。──MORI LOG ACADEMY: 子供の夢をいつまでも

 終了間際にこんなエントリ名のような偉そうなこといっても全く説得力がないんですが、しかし観ていて、最初っから最後まで泣きっぱなしでした。べつに感動的な展開があるわけでもなく、小さい子どもが普通に遊んでいるだけ、にも関わらずです。この作品の良さというのは、容易には言語化できないと感じています。それはこの作品にわかりやすい「物語」がないからであって、ここにあるのは本当に楽しかった「子供の夢」そのものであるからです。最初に森博嗣の言葉を持ってきたのは、この作品の良さ…というよりかは、子供から大人になってだんだんと失っていってしまったもの、つまり「想像力が世界を変える」ことそのものが、「映像」としてあらわれていたからにほかなりません。ぼくたちが昔熱中したごっこ遊びや、今では本当にくだらなく見えることが凄く面白かったのは、あれは未熟さ故でなくたぐいまれなる想像力のおかげであったとそれを失って初めて気が付くのです。少なくとも、この映画を見た人大人は、自分が失ったものの大きさに気が付いて愕然とするでしょう。しかし子供が見たら、なんだこんな当たり前のこと、と思うかもしれません。だからこそこの作品は、「大人向け」でしかありえないのです。子供にとっては当たり前の日常が、しかし大人には当たり前じゃない。そこにはわかりやすい想像力を喚起させてくれる「物語」は存在せず、ただ「日常」がある。

 題名の「マイマイ」とは主人公の新子(しんことよむ)の額の上にある二つ目のつむじのことです。映像としてはアホ毛のように書かれています。そして物語の時代、舞台設定は昭和30年の田舎で、昔の建物、機関車、人々の方言などが自然に描かれていて、背景の美しさは一級品。そんな田舎の片隅に、都会からのお嬢様が越してきて、新子とその子は友だちになって──そんなお話です。新子は想像するのが大好きで、想像だけでお姫様でもなんでも、千年前の「世界」すらも生み出してしまう。そんなこと、子供にしかできやあしない。お嬢様は新子の想像力に感化され、一緒に想像を楽しむようになる。だけどやっぱり色んな事があるんですね。しかしそれは、決して「物語の力」にとらわれたりしないんですよ。たとえば「ここで盛り上げよう」とか、「ここでためよう」とか、普通そういうポイントへ向けて物語とは動いて行くと思うのですが、この作品で言えばそういう物語上の「重要なポイント」が、いともあっさりと起こってしまう。ほんとに、「あっ」というぐらい簡単に「死」がやってきて…。重要なポイントはいつだってそういう風に、「あっ」という間にやってきて、「えっ?」とうろたえている間に去っていくものなのかもしれないです。子供が大人になるのと同じように、それはいつのまにかなっているのかもしれない。むしろぼくはそこにリアリティを見ました。

 しかしそれはやっぱり、並大抵のことじゃないですよな。「事実は小説より奇なり」という言葉がありますけれども、それが何故かというと「小説で突拍子もないことをやる」と読者が誰も納得しないからなんですよ。「納得のいく説明をしろ!」って、それを「これがリアリティです」といったらブチ切れられる。「怒られるポイントと怒られないポイント」の境目があるはずなんです。それが非常に深いレベルで行われている。少なくともぼくはこの作品のどこにひかれて、どこがこんなに泣けるのかうまく説明することができない。この作品がいわゆる怒られない作品になっているのは、うまく知覚できないレベルでのリアリティ、まるでその世界が実際にあるかのような表現力のたまもので、それは映像だったり音楽だったり細かい人間の表情だったり(そう、この作品、表情が良すぎる!!)建物だったり、の複合的な要素(当然、言うまでもなく)によってなわけで。そこはもう、「観なきゃわからない」。この作品の数々の重要なポイントのあっけなさが受け入れられるのはつまり、「リアリティがあるから」ということにつきる。

なぜ泣けるのか

 アニメに何が一番リアリティを与えるのかといったら、やっぱり上であげたような要素が全部組み合わさってできた「空気」。そのハイレベルな空気の中で、時代が移り変わっても変わらない「子供」の視点に自分自身を没入させる。そうすることによって、かつての「想像力」を一時的にしろ、取り戻す。その時ぼくらは子供の時にみたあの夢でいっぱいの想像の世界、その懐かしさに号泣するのかもしれないです。どうして想像力をを取り戻せるのかといえば、やっぱり構成がそんな感じですよね。たとえばこの作品、時間軸が千年前と現在で入れ替わるわけですけれども、しかしその千年前というのは作品の中に実際にあった千年前ではなく、たんなる作中の現在の新子が想像した千年前でしかないわけです。だからアニメという想像の世界の中の想像の世界という二重のメタ構造になっている。そういった構造を通して、ぼくらはマイマイ新子の世界で、自分の想像力を取り戻す。想像力を取り戻すっていうことは、子供に戻るっていう事なんですよ。

 そんなわけでこの作品、傑作すぎる。でもこれ、今週来週でだいたい打ち切りなのよね…。この作品を映画館で見たというのは、いつかある種の自慢になると思います(っていうようなことをid:enziさんがいってた! ちょっとちがうかも!)ぼくはもう、映画の中でみんなが楽しそうに遊んでいるのを見るだけで、幸せなのです。この作品、みたら誰かと語り合いたくなると思います。そう言う意味じゃ、エヴァと同種なのです。「なんだかよくわからんがすげぇ!」そういう作品が、世の中にはいくつかあるんですなあ。