- 作者: 水上悟志
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2006/01/27
- メディア: コミック
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ストーリーは驚くほどシンプル。ごく普通の平凡の大学生の元に、ある日突然あらわれたトカゲから「地球の危機」を救えと言われ、さらには能力を与えられ、あれよあれよという間に仲間と危機を救うはめに──これこそ、今時珍しいど真ん中の王道ストーリーというべきであろう。現に今こんなストーリーを堂々と展開できるのは、「ドラクエ」ぐらいのものであろ。そのせいか、この作品も作中で妙にメタ的な発言が交わされる。たぶんそういうのって、今更こういう王道的ストーリーをやる上での照れ隠しというか、「ちゃんとそれぐらいわかってやってるんですよ」というメッセージっていうか。ま、そんなこたぁーどーでもよくて、うーん、問題は、「こんなにありふれた始まり方であるにも関わらず、どうしてこんなに惹きつけられるのか」という点で。実に不思議なのだ。ネタバレになるから特に書かないけれども、内容自体も結構お約束に従っていて、しかしそれでいて色んな要素がちょっとずつズレている。きっとそのあたりが、楽しめるポイントなのだろう。とかなんとか思いながら、そもそも王道ってなんなのじゃろーってそんなことも考える。なんかぐだぐだ書いてたら微妙に長いので、それを見たらだいたいこの長さがぼくのこの作品への熱意だと思って読まずに閉じてください。
王道ってなんなのじゃろー
正直この作品、どこが面白いのか説明に困るのですよな。そもそも王道が何なのかと言えば、ぼく含めて多くの人が使っている意味は「みんなが知ってる(と自分では思っている)展開」のことだと思います。しかし考えてみれば、「みんなが知ってる」というのは、あまりにもみんなが曖昧すぎますし、みんなの部分をアンケート調査で厳密に人数を決めたとしても、あまりにもナンセンスなのは言うまでもありませんよな。つーかまあ、何にせよぼくが言いたいのは厳密な王道の定義を決めるのは「ライトノベル」定義論争異常に不毛であろうということだけで。王道とはまあ言ってみれば「自分が勝手に思っている定番パターンのこと」ぐらいの定義でようございましょう。
問題は、面白い王道とつまらない王道ですよな。それはそうと定番パターンと言った時に即座に思い浮かぶのは、「落語」です。ぼくは落語、正直一度も聞いたことないんですが、どうやら同じ話を別の人間が何度も何度も繰り返し繰り返し話す、そして継承してまた話す話す話す──にも関わらずそこには個性が生まれ、芸としての実力が測られ、うまい下手が存在する。それもピンからキリまであるという。定番パターンというのは、ある意味物語の黄金比、とりあえず面白いものでありましょうが、しかしそれを昇華させるとなれば、話は別問題、驚くほどの修練が必要になる。
ここまで話しておいてなんですが、「物語」における王道と「落語」はまったくの別物かなーという気がしてきました。落語は、それを聞きこんだファンならば話の始めを聞いた瞬間にその話のオチまでわかってしまうでしょう? しかしそれって、面白い! と人に感じさせる上では致命的なのです。人間がどんなときに面白さを感じるかと言えば、それは「予測していなかったことが起こった時」「予測が外された時」に「不可知性」の中にあるわけで、「落語」においては、最初から話自体は知られてしまっている訳です。それに近いのは物語のパターンでいえば、水戸黄門などでしょうか? ただあれの場合、「続ける」という条件が前提にありますので、「どこかで終わりにする、できる」ことが前提の普通の物語であれば、やはり物語ではいくら王道パターンといっても、オチまでは指定されていない。あるいはオチが王道というあれもあるか。そもそも、王道をしっかりパターンにわけてそこから話を発展させていかないとぐちゃぐちゃになるような気がしてきて。もしここから先に話を進めるなら、王道のパターンを把握、オチ系、導入系、物語の大枠系、みたいに分別した後に、それぞれに王道の役割を追っていくことになるんでしょうか。ぜんぜんわかんね。
めちゃくちゃ長くなってきてますがまだまだ続けると、王道パターンというのは今まで使い古されたにも関わらず無くなっていない、いわゆる物語の核なわけですよ。誰かの名言で、「人と同じことをやってなお出てきてしまうもの、それがオリジナリティだ」みたいな。王道をすっ飛ばして無茶苦茶なことをやるのはオリジナリティじゃねぇ! っていう批判でもあるわけですが、えーと、だから、なんだ? もうなにがなんだかわからん。ちなみに王道がどーたらとかいうところはizuminoさん主催の同人誌『フィクション・ハンドブック』の中に入っている『「王道」とは』という内容が入っていると思います。たぶん。「王道」とは の中では、王道を語源から遡って英語圏の王道/ロイヤル・ロード と儒家思想の王道/キングリィ・ウエイ の二つから王道を探っていっています。とっても面白いです。ぼくも、もうちょっと先に進めるかと思ったら、結局劣化コピーにしかなっておりません。結局「王道」とは、長い時間の経過によって磨き上げられた道の事であると、使いこなすはその人次第、そンナ感じで。以下は普通に作品について死ぬほど書く
全てがちょっとずつズレている
たとえば主人公に、最初に地球の危機を知らせ共に戦おうというのはなんと、ただのトカゲである。特に能力があるわけではない。ひょっとしたら次の巻からゴジラみたいになるのかもしれんけど、まだわかんない。あとヒロインがお姫様。すごい。ヒロインお姫様。ちょー可愛い。けど中二病。「自分が死んだ時自分がいない地球があるのが嫌だから自分で破壊する」とか言っちゃう。凄い。ぼくも昔考えていたけれども(ていうか今でもちょっと)、お姫様が中二病とか凄い。だってピーチ姫が中二病だったら普通にひくじゃない。
後主人公が凄い雑魚っぽい。
だって主人公普通こんなスーパー雑魚の格好しないじゃん。G線上の魔王のゲーム理論くんじゃん! 普通こういうのは、セコい主人公の敵キャラで、体力がないスネ夫ポジションが「俺は頭が良い…」みたいなことをいいながらとるポーズだよ! 二十分後には死んでるよ! でも彼が主人公なのだから凄い。性格も完全にゲーム理論くんだというのに。尊敬する。それから最後の方でも主人公は、ほとんど死にかけになりながら敵の雑魚を一体倒して、「こいつら大したことないぞ」とか超かっこいいポーズを取りながら言ったけど、凄い小物感でよかった。おま、死にかけになりながらたおしてたじゃねーかよ!!
常に意識させられる世界観のデカさ
途中、ビスケッツハンマーが描かれるようになってから、どんな背景にもビスケッツハンマーがいる。なんてことのない場面でも、背景にビスケッツハンマーが存在しているだけで、それだけで常に「世界が危機に瀕しているのだ」ということを意識させられる。やはり、漫画ならではの表現であろ。これを小説でやろうとしても、何度も何度も描写されたらさすがにうざったく感じる。多分この作品の言語化しにくい面白さというのも、結構な部分「漫画的演出」によって生じているのであろ。そういうのって、読む方に知識がないと説明しづらいからのう。なぜビスケッツハンマーが一気に振り下ろされないのか、とか夕日とさみだれは過去どこで会ったのか、とかなんでとかげに記憶がないのとか、なんで先生はシスコンなの? とかさみだれちゃんのペットはどこにいるのとか、パンツが持つ記号性とかはまた段々と小出しにされていくのでありましょう。ふう、だいたい満足した。