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『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!──惑星のさみだれ6巻

惑星のさみだれ 6 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 6 (ヤングキングコミックス)

 今さらこうやって発売されてから時間も結構立ってしまっている作品について何か書くことに意味があるのかと言えばダイブ怪しいのですが、惑星のさみだれ第六巻の感想を書きます。はっきり言って、六巻もめちゃくちゃ面白いです。感動的な意味で。滂沱の涙。

長々と書いた後に気がついたんですが、下はめちゃくちゃネタバレしているので見ない方がいい上に、↑のMADが良すぎてそっちを見れば全部事足ります。

臆病者の勇者

 六巻の話の軸は、表紙に書かれている男の子と女の子の二人です。この六巻の副題は、「勇者」。男の子の方が、勇者ということになります。しかし当の本人は凄い臆病者なんですね。「惑星のさみだれ」では、能力を得た人たちは同時に動物のパートナーも得るのですが、彼のパートナーは「ネズミ」。しかも能力者とパートナーは基本的な性向が合わさるようになっていて、どんな人間がネズミのパートナーになるのかといえば「臆病者」。まさに、と言った感じです。日下部くんは幼馴染の女の子(表紙の女の子)に、告白するか現状維持を続けるかでうーあうーあーーと悩み続けるぐらいには臆病者です。

 こちらは四巻の話。騎士になったおかげで彼らは一つだけ願い事をかなえられるのですが、そのお願いをする場面で一度自分の死を強く意識する場面がある。そこで彼は「花子が致命的ダメージを受けても一度だけ復活する」というお願いをします。ただしそれには即死でないことが条件で、ゆえに絶対安全ではない。だからそれはただ単に「保険だ」と言い切るんですね。じゃあ保険以外の本命は何かと言えば、「自分自身が身体を張って守ること」それさえすれば、一度だけは命を守れる。ガタガタガタガタと身体を震わせながらネズミと一緒に誓います。めちゃくちゃ臆病者です。でも、勇者です。

身体を張る時

 幼馴染の花子は、やはりこれも訳あってかなり感情がないというか、虚無主義的です。お人形さんみたいに色々なことに反応がなく、死への抵抗が薄い。そのせいで危険な役割を背負いに自分から行くし、必殺技にはやっぱり名前が必要だろうという日下部くんに対してどーでもいいような適当に考えた名前をつけたりする。六巻でも危険な役割を担おうとする花子を止めて、ビビリまくりながらも太郎くんがその役割を引き受ける。しかし敵は囮になった太郎くんには一撃を放った後無視して、花子の方へ。それに気がついた太郎くんは、一度練習で失敗している掌握領域を使ったジャンプを見事成功させ、花子の身代わりに・・・! なったと思ったら二人とも串刺しですに!! こんなことがあっていいのか!! ていうかこんなの文章で書くの無理や!

 結局、太郎くんがかばったことは何ら結果をもたらさなかったわけです。二人とも串刺しですが、花子は結局致命傷ではなかったおかげで回復したのですから。太郎が飛び込んでも飛びこまなくても結果は一緒……いや、太郎が死んでしまった分結果は大損といったところでしょうか。つまり、これは盛大な無駄死にです。

 しかし本当に「太郎にとって」それが無駄死にだったのかといえば、それは決してそんなことはないはずで。その瞬間の太郎からすれば、花子が即死になる可能性だって充分にあった。いや、仮に1%しか無かったとしても、太郎くんは間違いなく飛び込んだはずです。なぜなら彼自身言っているように、あくまでも花子が致命傷を受けても蘇生するというのは「保険」であったからで、それはまったくあくまでも「自分が失敗した時」発動するものでしかなかったんですね。

臆病者から勇者へクラスチェンジ

 考えてみれば「臆病者」と「勇者」というのは、相反するものであるように思えます。シェイクスピアは「臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、勇者は一度しか死を経験しない。」といい、スレイトン夫人は「私は、臆病者の妻であるよりも勇者の未亡人である方がいい。」といったといいます。臆病者と勇者はどうも対比して語られることが多いようです。裏表の関係。

 だけれども臆病者であるはずの日下部太郎は「真の勇者」と周りから呼ばれるにいたった。それはきっと、臆病者しか勇者になれないからでありましょう。ジョジョの名言にもあるように

「ノミっているよなあ………ちっぽけな虫けらのノミじゃよ! あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて戦いを挑んでくるなあ! 巨大な敵に立ち向かうノミ………………これは『勇気』と呼べるだろうかねェ
ノミどものは『勇気』と呼べんなあ。それではジョジョ!『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖』を我が物とすることじゃあッ!」

 臆病者が、ビビっているだけじゃなく自分をビビらせる事実に立ち向かった時に、真に勇者になる。ずっと告白をビビってた太郎くんは最後に「好きだ」と告白します。まさに、怖さを知りながら勇気を持って前に前進する! それこそが勇気! そして、自分もめちゃくちゃ死ぬのが怖いのに、好きな人が1%でも死ぬ可能性が見過ごせなくて、自分の身体を張れる男はやっぱり「真の勇者」ですよなあ。

まわりも成長していく

 太郎君のパートナーだったネズミは、消える間際に因縁のライバルのような関係の、カマキリにこう告げます。「おれっちはお前が大っ嫌いだ 二度とその顔見たくねえ だから ぜってー死ぬな」。カマキリは最初、勇敢なものに私はつく、と言っていたのですが、ネズミにそれはただの思考放棄の捨て鉢だ 勇気じゃねえ! と怒る場面があります。無鉄砲な、無謀と勇敢さを取り違えてしまっていたのがカマキリの最初だったんですね。常にシニカルで、熱くなることがないカマキリ。それが六巻の最後では、太郎とネズミのカタキである敵に向かって、「勇者の剣(クサカベ)」を撃ちまくる花子に「いいぞ… いけ… いけ!! 花子!!」と叫んでいる。名前なんてどーでもいいとニヒリズムに陥っていた花子が必殺技に名前をつけたという点も非常に感動的なのですが、やっぱりあんまり重要じゃないカマキリでさえも燃えポイントにしてくる水上先生にびっくりしました。でもこの巻以降成長してしまった花子とカマキリにはあまり見せ場はないのであった。ちゃんちゃん。