- 作者: 元長柾木,BUNBUN
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/11/25
- メディア: 文庫
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名前について何か書いたついでにキャラクターについて書くと、全死というキャラクターは、無軌道なんですね。たとえば、普通人と話しているときには「これを言ったらこの人は傷ついて関係が破綻してしまうから言わないでおこう」とか、「こんなこといったら面倒くさいことになるから言わないでおこう」とか、色々世間に配慮しながら生きている訳です。電車で隣に座った人がスッゴイくさかったからといって、「くせー」と声に出してなかなか言えない感じで。で、全死はそんなことをまったく気にしないように書かれている。電車で隣に人が座れば必ず「A」とか「Dマイナス」とかいって評価する。で、「Dが私の隣に座るんじゃねえ」とか言っちゃう。そういうのは、むしろ読んでいて気持ちがいい。いっそすがすがしい。現実と言うなかなかしがらみの多い世界を、自分の代わりにぶっ壊していってくれる感覚とでも言うんでしょうか。そういう面白味があります。
あとねえ、この作品を一気に好きになってしまったのは、清涼院流水的な概念能力バトル的な部分のせいなのですよ。たとえばこの作品の語り手である香織くんの能力はこんなんだし
俺は不可触だ。敵意を持った者の攻撃は、絶対に俺には命中しない。それが持って生まれた体質だ。技術ではなく公理だ。たとえ攻撃の意図がなかったとしても、相手がこちらに敵意を抱いていたとしたら、そいつは俺に触れることはできない。無条件に、自動的に、俺はかわしてしまう。
すごい! なんでそんなことが出来るのかと言えば、世界の原理でそうなっているんですね。何のいいわけにもなっていないように見えて、文句がつけようのない理由です。だって、世界がそうなってるんだもんな。それだけじゃなくって、飛鳥井全死というキャラクターはなんと「絶対に間違えない」という論理能力を持っているときたもので。「絶対に攻撃を食らわない」論理能力と「絶対に間違えない」論理能力。そういう絶対的な論理能力のどこが面白いのかなーといえば、「こういう状況はどうなんだろう?」と読んでいるこっちが自由に考えられるところがいいですね。たとえば敵意を持った者の攻撃は絶対に命中しないというけれど、彼の身の回りを五百人の銃を持った人間が取り囲んで、彼に向って一斉掃射したらどうなるんだろう!! とか考えると、わくわくしてしょうがない。作中の解釈だと、そういう絶対に回避できない状況になったら撃つ方の銃が暴発とかしたりして悲惨なことになるだろうという話ですが、ううむ、五百人の銃が暴発するところはそれはそれで読んでみたい。ていうか、たとえばそんな能力を持っていたらバキのピクルにだって勝てるしオーガにだって勝てるし、はじめの一歩の一歩くんにだって勝てるし、やりたい放題じゃないですか! その能力欲しい!! くれ!!
まあそんな彼らの能力が、ただ単に日常生活におけるラッキーな神からの贈り物として持っているだけならいいんですが、やはり能力がある以上使わざるを得ないわけで、何やらでっかい戦争に巻き込まれていく。そのプロローグがこの一巻というわけです。ほとんど無敵の能力を持った二人が、戦争に参加するというだけで(どんな戦争か皆目見当もつかない。世界の摂理を書き変え合うような戦争らしいが)わくわくが止まりませんよなあ。一つあれなのは、論理能力っていうのは「だってそうだからそうなんだもん」という開き直りに近い論理で成り立っているので、あんまり多くの人に受け入れられないんじゃないかなという心配が。中二病的な妄想が大好きな人には文句なしにオススメです。