基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

とある科学の電磁砲を14話から18話まで見た。

 一期まではどうも原作準拠で爽快感のあるお話になっていたのですが、二期からはこれまでより学園都市の暗部をさらけ出していくようなお話になっているように感じます。オリジナルストーリーということで、その辺のテーマは世界観に関わることだけに、原作もないのにあまり深くはやれないんじゃないかなあ、と思いますけど、どーなんでしょうかね。物語はこの先どう転がって行くのか。17話と18話は「妙に息苦しい学園都市」として描かれていた14、15、16の三話とはまた違い、「子供のまわりの大人」が書かれていて、そのうっ屈さから少し距離置いたような感じがします。それがタメとなって、二十話以降の話に繋がってくるかもとか考えたり。17話と18話でうつされた「大人の世界」には、美琴たちが置かれているような「能力絶対主義」的な世界観はまったくなくて、「恋」や「仕事」がうまくいかなかったりするけれど、今日も私は元気です、だったりと、なんとも現代的なお話です。そう言う意味で言えば、この二話だけ抜き出してみればわざわざ「学園都市」を舞台にしてやらなくてもいいわけですが(だって恋とか仕事に別に能力の葛藤も何もないからね)、そこは学園都市の「子供の世界」と「大人の世界」の対比として見ると面白いかなーと思った。

 学園都市はとっても不自由な都市だ。子供達は能力至上主義の元で育てられて、能力がうまいこと発現しないと「スポーツ推薦で入ったのに、うまくそのスポーツができない」みたいな、居場所が無い絶望的な気分を味わうことになる。仮に能力がめっちゃ強くなっても、美琴みたいに実験に使われたりする。そして、自分たちではその社会のルールをうまく変えることはできない。とっても不自由だ。自由を「自分の思いどおりになること」だとすると、子供は自由だと思われがちだけれども、実はそうではない。本当にやりたいことがあっても大人に制限されたりする。それ以前の問題で、やりたいことがあっても能力が無いので出来ないこともある。たとえば「本物のジェット飛行機が作りたい」と思っても子供だけではつくることはできないだろう。子供は子供であるというだけで、大人が作ったルールに制限される。大人と子供の違いは、大人がルールを作り、子供がそれに対して文句を言うところにあると思う。ルールを作れるようになったら大人だ。学園都市はわりと最悪な都市だけれども、それをなんとかするのは本当だったら木山先生のような、ルールを作ることが出来る大人たちがやるべきことであろう。木山先生はとりあえず一度間違った方法をとって学園都市のルールを良く守る美琴さんにフルボッコにされてしまったので、今度は正攻法で学園都市を変えていく方法をとるのではないか、などと思いながら観ている。二期からは、色々考えて遊べる部分が多そうで一期とはまた違った意味で面白いです。