基本読書

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森博嗣の小説作法──『創るセンス 工作の思考』より

 最初の作品を書いた時点で、設計図をさきに作って進める工法は、労働感が強くて作業が面白くないことがわかった。それに、書いているうちに思いつくことを物語に採り入れにくい。書いている最中が最もその世界に没頭しているわけだから、頭が最大限に働き、発想がつぎつぎに湧いてくる。それらを無視して、設計図どおりに進めることが不自由で面白くない。初めに設計図を描こうと無理に考えている時間よりも、書いているそのときの方が良いアイデアを思いつきやすいのだ。(中略)
 そこで、2作めでは、設計図をいっさい描かずに、いきなり書き始めることにした。物語をほとんど構想せず、いきなり最初のシーンを書くのである。すると、書いている本人もこのさきいったい何がどうなるのかわからない。どんな事件が起きるのか、どんなトラブルが待っているのか、誰が悪人で、誰が善人なのか、登場人物の属性もわからない。いちおう、最初に登場人物票を創るけれど、全然そのとおりにはいかない。性別が変わったり、突然現れる想定外の人が居たり、逆に最後まで出てこない人がいたりする。書くこと自体がスリリングで、思いのほか楽しい。はっきりいって、小説を読むよりも楽しい。思いついたことをすぐに活かせる。現場にあるものをなんでも利用できる、に近い感覚である。
 一例を挙げるなら、僕は2作めからは、まずタイトルを考えることにしたのだ。これは、本のカバーに書いてある情報だから、読むときに最初に読者にインプットされるものである。とりあえず、ぼんやりとしたイメージからタイトルを決める。それから書き始める。そうすると、当然そのタイトルにぴったりマッチする内容になる。出来上がった内容に合うタイトルをあとから考えるよりも、ずっと適切なタイトルになる。

 本書『創るセンス 工作の思考』は本当にわたしの中では驚きの連続で、すべての文章を脳の中にインプットしたいぐらいなのです。その中でも、森博嗣氏の小説作法は、わたしの知り合いにもいわゆる書く人が幾人かいるので、気になっている人も多いのではないかと思い引用してみました。

 森博嗣の小説作法はひと言で言ってしまえば何も考えずに書くことであって、そんなやり方で破綻の無い物語が作れるはずがない、とかちゃんと書ききれるはずがない、とか色々反論も思い浮かびますが個人的には納得するところばかりです。

 特に納得した部分は、森博嗣氏自身も文章の中で言っていますが、ギチギチに練り上げられたプロットの通りに物語を作って行くのは、非常に退屈なんじゃないかなということです。漫画でたとえるならば「ネーム」に当たるでしょうか。製造と創造の違いとでも言いましょうか。製造は設計図通りに、出来上がるものがわかっているモノを作ることを言い、創造とは何ができるかわからないものを作ることを言います。そしてどちらがより面白いかと言えば、「創造」に決まっている。出来上がるとわかりきっているものを、ただ作り上げてもそこには「驚き」がなく、だからこそ「面白さ」もない。

 作り手が面白くなくてもいいじゃないか、読み手が満足すれば、という気もします。ただわたしは、作り手が面白い面白い!! と感動しながら作ったものは、やっぱり何かが伝わるんじゃないかと。もちろんプロットをちゃんと作った作品がつまらないという意味じゃあなくて。それにそんなこといったら、漫画なんていうものはそのほとんどが「ネーム」というプロットを下敷きにして「ペン入れ」、文章を書くことに当たる部分を行っている訳ですから、漫画が全部つまらないものということになってしまう。当然そんな事はない。結局、こんなこと言ったらあれですけれども、だれもが自分自身で考えて、自分に合っているやり方を試すしかないんですよね。「絶対に正しいやり方」なんて存在しない、それが本書のテーマでもあるのですから。

創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)

創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)