基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

圧倒的暴力!──『犬の力』

 わが魂を剣から解き放ちたまえ
 わが愛を犬の力から解き放ちたまえ。

 傑作!! あまりにも凄いものを読むと、わたしは「喜び」と同時に「怒り」を覚える。なぜなら、それを読まなかったら、同じジャンルの作品をいくらでも楽しめたはずなのに、傑作はその可能性を潰してしまうからだ。しかし例えようもないほど面白いので、その怒りも行き場を失ってしまう。本書はいわゆるマフィア物というものを、終わらせたのかもしれないと思う。それぐらいの面白さであった。

 冒頭、十九人の無残な女子供の死体を目の前にしてその事態を引き起こしてしまった自分を呪う男の場面から物語は始まる。その場面は凄惨のひと言で、これをわざわざ最初に持ってきたのは「これはね、そういうお話なんだよ」という著者からの但し書きのようにも思える。そんなプロローグから始まる物語は、ひと言で言ってしまえば「マフィア物」中でも、麻薬取引を扱った話だ。麻薬取引を行い巨額の資金を得るマフィアがおり、それを取り締まろうとする特別捜査官「アート・ケラー」がいる。それらを、複数人の視点を多重に織り交ぜながら語って行く。必然そこに表れてくるのは、どちらかが偉いという勧善懲悪的なお話ではなく、だれもが必死に生きているだけだというシンプルな事実だ。

 誰が主人公、という特定の人物はいない。あえていうならば特別捜査官の「アート・ケラー」だろうか。彼は最初は法にのっとり、相手を殺さずに生きて法廷へ連れて行こうとする。しかし大統領ですらも麻薬組織の力を借りて当選してしまうようなメキシコという国では、法なぞまともに機能しない。警察官も、わいろを貰う為になったようなごろつきばかりで金さえ払えばだれも何も言わない。奥地まで行けば通貨の代わりにコカインで物が売買され、麻薬を取り締まるという言葉が非常に空虚にすら聞こえてくる。アート・ケラーはそんな状況に対抗するには、自分自身も相手と同じところにまで堕ちるしかない、と考えるのだ。法に頼っていたら、正義なんてものに頼っていたら相手を逮捕することはできないのだから当然。

 しかし、法を超えた暴力に訴えたら最後、暴力による復讐を覚悟しなくてはならない。悪には惰力のようなものがあり、いったん動き出したら止めることが出来ないのだ。止める力が働かない限り。そして、往々にして動き出した悪を止めることが最も難しい。本書『犬の力』が描き出すのは、その例えようもない悪の力の元で葛藤する人々の姿だ。読み終わった時には、ほとんどの人間は『犬の力』(純粋悪、のような意味)に逆らうことはできない。しかし、逆らおうと試みることはできるのではないか? そんな問いかけをせずにはいられないのではないか。ちょうおすすめ!