基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

おれは世界を変える気で書いてるんだよ──伊藤計劃記録

 『虐殺器官』と『ハーモニー』という読者の中に新たな回路を開発してしまうような二つの傑作を残して亡くなってしまった伊藤計劃氏の一周忌に、遺稿集である『伊藤計劃記録』が発売されました。いくつかの短編と、様々な媒体に寄稿されたエッセイ、評論、インタビューに加えWebで連載していた映画評を盛り込んだ一冊になっています。いやしかし亡くなってしまってから一年も経ったとはまったく信じられません。今だに『ハーモニー』『虐殺器官』の読書会は各地で開かれ、ツイッターでも伊藤計劃の名前を見ない日はない(いやマジで)というぐらいなので。

 わたしは伊藤計劃氏の文章を読んでいると、恥ずかしくてたまらなくなる。何がそんなに恥ずかしいかって、自分の書いている物の軽薄さと、作品に対する不誠実さ、覚悟の足りなさに。そしてわたしはただブログを無目的に書き散らしているだけで、氏はそうではない、そのことがあまりにも明白だから。書くことに対して自覚的であるか否か、あるいはそこがプロかアマかの分岐点の一つなのかもしれません。下に引用するのは氏が「なぜブログを書くのか」について書いている部分

おれはこの世が少しでもおれにとって楽しい(「正しい」じゃねーぞ)場所になってほしくて書いているのだ。何人かはもしかしたらいるかもしれない。「うん、そこらへん気をつけて書けばもうちょっと映画評面白くなるかな」って考える奴が。そういう奴の存在におれは賭けてるんっだつーの。「個人の自由だと思います」とか抜かしている間は何も変りゃしねえ。いい言葉だな「個人の自由」って。たいそうなこった。くたばれ。おれはおれにとって読み応えのある文章がすこしでも増えてほしくてこういうことをやってるんだ。おれのためだ。世界がおれにとってちょっとでも楽しい場所になりゃ万々歳だ。あのな、おれは世界を変える気で書いてるんだよ、大袈裟に言えば。いや大袈裟じゃないか、ホントの話だからな。スルーされない何人かに届いて、その人間が面白い文章をはてなで書こうとしてくれりゃおれにとっては大勝利なんだ。おれは明日死ぬかも知れないし、そういう「個人の自由ですから」なんておためごかしに付き合っているほど暇じゃねーんだ。もっともっとおれにとって面白くて興味のある文章が読みたくてたまらないんだよ。──誰も信じるな - 伊藤計劃:第弐位相

 「たかがブログだから好き勝手なことを書き散らせばいいだろう」とか、「人がどう思おうが自分が楽しけりゃいいだろう」と考えていたわたしは、同じはてなという場所を使って同じ言葉を使って書いている人間の中には「世界を変える気で書いている」人がいるのだ……ということを知って、世界が広がるような衝撃を受けた。わたしにとっては「たかがブログ」なのに、伊藤計劃氏にとってはブログも「世界を変える手段」だった。わたしは自分の書くものに対して、「人を変えてしまう」覚悟を持っていなかったし、そもそも作品に対してまったくもって誠実じゃなかった。誠実が何か、というのは伊藤計劃氏のブログの記事を読めばすぐにわかる。そして氏の書くものは、小説はもちろん、ただの映画評に至るまで「見方を根底から変えてしまうような」斬新さによって裏打ちされている。わたしはこの本の最後に収録されている『イノセント』の映画評を読んでいるときに、涙が出てきた。信じられるだろうか、映画評で泣いてしまうなんて。何もこれで本が終わってしまうのが悲しくなったわけではなく、映画評がスゴクて泣いたのだ。「イノセントは映像と言語が別個に進行する構造物」なんていう見方を、わたしは考えもしなかったもの。

 ある分野に対する愛というものは、「楽しさの引き出しをいくつ持っているか」と言えるかもしれません。たとえば映画であったなら、いかに多くの評価軸を持っているか。役者であったり、カメラワークであったり、照明であり。そういった数々のポイントを楽しむ引き出しをたくさん持っていれば、物語がつまらなかったとしても別の部分を楽しむことはできる。なぜなら「物語」なんていうのは、作品のほんの一部分でしかないからです。どの分野でも才能がある人、努力をしつづけることが出来る人というのはこの引き出しをたくさん持っていることが条件なんだと思うのです。伊藤計劃氏はそれを、映画に対してはもちろん「創作」全般に対して豊富に持っていたのだと思います。そして氏の中では「創作」という行為が、ほとんど生きることと繋がっていた。この本の中で氏は「意識」が必要なのは、物語を紡ぐためだと書いた。人は死ぬ、しかし死は敗北ではない。人は物語として誰かの身体の中で生き続けることができる。氏は生きるために書いていた。その「覚悟」に直面して、適当なことを書き散らしているわたしは恥ずかしくなった。他の人はどうだろうか。

伊藤計劃記録

伊藤計劃記録