どんな小説にでも欠点というものはある。欠点が存在しない小説は存在しないといってもいい。なぜならそれを書くのは、欠点のある人間だからだ。なんていう意味ありげな書き出しで始めても特に意味はなく、かといってまったく意味が無いというわけではない。どんなものにでも欠点はあると考えているので、私は自分が大好きな小説や漫画、アニメをけなされようが別にまあそうだろう、その気持ちはよくわかる、と思うだけで特にそれ以上何の感想も抱かないのであるけれど、村上春樹だけは違うのである。村上春樹が読めない、面白くない、という人の気持ちがまったくわからない。どこが面白くないのかサッパリ理解できないのである。これはつまり裏返しの表現をすると、「どこが面白いのかさっぱりわからない」ということでもある。
特にこの1Q84Book3という小説は、私の想像だけれども批評家の方々からはあまり、いや、というかかなり、評判が悪いのではないかと思う。正直言ってこの結末はBook1.2を読んだ時点で細かいディティールはともかくとして大筋としては想像がついたものであるし、言ってみればこのBook3とは1Q84における壮大な蛇足小説にみえる。1Q84の内容自体もいつも半分以下じゃないか? というぐらいに比喩が控え目になり、メタファーが錯綜し、その結果当然の帰結としてより意味がわからなくなっている。ぶっちゃけていえばメタファーが多すぎていったい何を物語っているのかさっぱりわからないのである。性や月、処女懐胎、父の喪失、そういったいかようにも象徴論として語れそうなパーツがちりばめられ、「さあ解釈合戦を繰り広げてみせたまえ」とばかりに読者の前に並べられる。
正直言ってそんなわけのわからない、理解できるのは作者かもしくは相当に作者に好意的に深読み解釈をしてくれる熱心な一部の読者だけという、まさにオナニーのような小説のような気がするのがこの1Q84である。宗教色も強くなり、まさに村上春樹教と言っていい状態なのであって、そんなもの、普通だったらつまらなくて当然なのだけれども、これがなぜか面白くてたまらない。上で挙げたような要素がまったく私の中ではマイナスとして計上されない。純粋にあらすじだけを追って面白い点を挙げれば、この1Q84はラブストーリーということになるだろう。ラブストーリーとして特異な点といえば、関係を結ぶことになる男女が最初からお互いの事を愛していて、そしてその二人が決して出会う事が出来ないという点にある。通常のラブストーリーは「出会い」それから恋愛を成就させるためのスレ違いが演出されるわけだけれども、1Q84においては恋愛が成就しているにも関わらず「出会えない」という逆のスレ違いが演出される。
しかしそういった「物語」とはまた別の部分、メタファーだとかの、要するに文学的な部分ですね。そこが「全然わからないのに面白い」のです。不思議。これは、何で何だろうなぁ? 何でわかんないのに面白いんだろう? まあこんな疑問は、それこそ愚問なのかもわからんですけれどね。全部わかってしまったら面白くないことは確かなのですから。それからこの小説は、勝手なことを言えば一つの実験のようなものだったのではないかと思いました。「二つ月がある世界」という条理に反した世界の物語を、読者に現実と混同させることが出来るかの実験。その為には、膨大なディティールが必要になる。私が村上春樹氏の小説で一番好きなのはそこです。作家の役割って、ひと言で言えば「読者の変わりに、読者が思いつかないようなものを、より詳細に、想像して、それを信じさせること」だと思うんですよね。であるからこそ、小説ってディティールなのだと思う。より小さな、細かいところにまで想像を張り巡らせること。村上春樹以上に詳細に世界や人間を作り上げられる人って、いないんじゃないかなと思いますよ。
最後に、しがない普通の本読みである私が1Q84Book3に下す評価があるとすればそれは「素晴らしいラブストーリーでした」のひと言だけなのですな。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/04/16
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