そもそものはじまりは間違い電話だった。真夜中に電話のベルが三度鳴り、電話線の向こう側の声が、彼ではない誰かを求めてきたのだ。ずっとあとになって、自分の身におきたさまざまなことを考えられるようになったとき、彼は結局、偶然以外何ひとつリアルなものはないのだ、と結論を下すことになる。だがそれはずっと先のことである。はじめはただ単に出来事があり、その帰結があった。それだけだ。違った展開になっていた可能性はあるのか、それともその知らない人間の口から発せられた最初の一言ですべては決まったのか、それは問題ではない。問題は物語それ自体であり、物語に何か意味があるかどうかは、物語の語るべきところではない。
いやー本屋で、「お、オースターの新刊?」と思って手にとって読んでみれば冒頭のこれで完全ノックダウン。どうもすでに翻訳はされているようなのですが、こちらは柴田さん訳での新しい単行本とのこと。古い訳がどうなのかは知らないけれど、これは最高に良い訳ですよ。良すぎる。特にこのあとに続く文章も、ほんとに最高で、ニューヨークの街並みを散歩する主人公のところとか、マジでヤバイのですがそれをここでも引用するとちょっと長くなりすぎるのでまた読み終わってからにします。ほんとに、冒頭から数ページの文章が良すぎて、何度も読みなおして、そのせいで先へ進まんのです。なのでまた2ページぐらいしか読んでません。なのにこれだけ興奮しているって、それは凄いですよ。
ちなみにこの冒頭の文章が素晴らしいのは、私が考えるにやっぱりいきなり物語のテーマがガン、と語られている点ですよ。いや全部読んでないのでこれが本当にテーマになるのかは確信はもてないのですが、これはまあテーマでしょう。まず間違いなく。どんなテーマかというと、「なぜ私なのか」もしくは、「運命の探求」というところでしょうか。自分が病気になった時、大切な人が死んだ時、あるいは様々な不幸に襲われた時。あるいは、誰かに、自分が選ばれた時。「それは私でなくてはならなかったのか」と疑問におもっても、それに対して明確な答えが与えられることはない。なぜならどんなことも、そもそもの始まりは偶然だからです。「何のために、なぜ私は生まれてきたのか?」という問いに、私達は誰かから明確な答えを与えられることはない。自分達で、決めるしかないのです。
だから物語なども大抵は、最初のきっかけはささいな偶然で始まるのです。その偶然という要素を、最初の最初から物語の中に取り組んで、リアリティの一部としてしまっているところが面白い。メタな小説だな、と一読してわかります。しかもちょっと読み進むと、主人公は著者と同じ、「ポール・オースター」の名前をなぜか騙ることになってしまう。とてもメタである。物語のテーマをしょっぱなから開示し、これはメタな物語であるという情報を含み、また同時に物語にありがちで、それでいてスルーされがちな「偶然」をとりこむことによって作品にリアリティを持たせた。この冒頭を凄いと思ったのは、そういうのが一気に理解できたからではないか。楽しみに読み進めよう。
- 作者: ポール・オースター,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/10/31
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 34回
- この商品を含むブログ (41件) を見る