基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

森博嗣の新書三冊を一気に紹介

森博嗣著作の新書三冊を一気に紹介。順番としては、最初に『自由をつくる 自在に生きる』が。二番目に、『創るセンス 工作の思考』が。三番目に『作家という職業』が集英社新書から発刊されました。この三冊、自由論工作論小説論と一見ばらばらなように見えて、実は各所で繋がっているので、一度まとめておきたかったのです。

『自由をつくる 自在に生きる』

まずは最初に『自由をつくる 自在に生きる』から。

『自由論』。三冊に共通していることだけれども、本書の主張はとてもシンプルである。自由とは何か? なぜ自由が重要なのか? その二つの問いに、丁寧に答えているだけ。

自由とは、たとえば朝起きた時に学校に行かなければならない。会社にいかなければならない。そう言う時、「あ~一日中寝ていられたらな」「好きなように寝坊できたらな」と思う。つまりはそういう「支配」からの「解放」が、一般的な自由の解釈であるように見える。

しかし本書が言う「自由」とは、それとは少し意味合いが違う。簡潔に言えば本書における自由の意味は「自分の思いどおりになること」である。

どういうことか。たとえば、好きなように朝寝坊できるような状況、というのは、実は自由ではない。なぜなら、起きたいと思った時間に起きることが出来ない、つまり「自分自身の体」に支配されているからである。「起きたいと思った時に起きることが出来る」ことこそが、真の自由である。

世の中には、今挙げたような「体の支配」以外にも、たくさんの支配がある。たとえばそれは常識の支配。「毎日嫌な仕事にいかなければならない」というのも、常識の支配であるといえる。嫌だったら転職してもいいのである。フリーターになったっていいかもしれない。

ただ、もちろん支配は悪い事ばかりではない。家族を養い、育て上げる自由の為には、仕事という社会的な支配を受け入れなくてはいけない事もある。ただ、それらが「支配」であるという認識を持つことが重要なのだ。いざとなったら「自由」になれることを知ること。それが重要な点だ。

 毎日が終わって、ベッドで少し読書をしてから、僕はライトを消す。そのとき、明日も楽しい事が待っているぞ、と思えること。それが幸せだと思う。ときどきは嫌なこともあるし、どうしても回避できない障害だってある。けれど、その向こうに楽しみが待っているから生きていけるのだ。
 自由を目指して生きる理由は、それがとんでもなく楽しいからである。(P189/自由をつくる 自在に生きる)

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)

『創るセンス 工作の思考』

二冊目は、『創るセンス 工作の思考』。

『工作論』。技術のセンスを扱った一冊。それは本来、文章で説明ができないものである。たとえば剣道の指導書を読んだからといって、剣道を極めることが出来ないことと同じように、技術のセンスは文章になったものを読んでも身につくことはない。しかし、現在ではマニュアル化が進み、多くの「もの作り」に携わる人は、「知識」しかないせいで「上手くいかない」ことが多いのである。過去においてはそれは「人から人へ」伝えられてきた。現在と過去の、技術の伝達のギャップにスポットライトを当てたものが、本書である。

結論を書いてしまえば、「上手くいかないことが問題」ではなく、「上手くいかないことが普通」なのだ、ということになる。「こうすればうまくいく」は存在しないのに、そんなものがあると、信じてしまう事が問題なのである。「上手くいかない事が普通」を認識した後に、どうすればいいのか? ということをもっと簡単にまとめてしまえば以下のような四点に集約される。

①上手くいかないのが普通、という悲観
②トラブルの原因を特定するための施行
③現場にあるものを利用する応用力
④最適化を追求する観察眼

これをやっておけば一発オーケーという「正解はない」ことをやるのだから当然失敗をする。失敗をしたら、慌てずに理由を特定し、理由をどうやったら潰せるかを身の回りのものを利用し考え、最後にどうしたらより思い描いているものに近付けるかの観察を行う。以上が技術のセンスというものであり、日常的に必要な事の一つである。端的にいえば、もの作りとは「私は何がわからないのか?」ということを自分に問いかけるところから始まる。

創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)

創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)

『小説家という職業』

三冊目は『小説家という職業』

『小説論』。「小説家」として生きていく為の一冊。本書に書いてあることを簡単にまとめてしまえば、「小説を書くということはビジネスをすることである」ということだ。その為には売れる本を書かなくてはならない。

しかしどうすれば「売れる本」が書けるのか? その問いに対する森博嗣なりの答えを、簡単にまとめてしまえば以下の2点に集約される。

①小説家になりたかったら、小説は読むな
②とにかく書くこと

①について。多くの小説の指南書には「小説を読め」と書いてある。そういえば村上春樹もそんなことを言っていたような気がする。人の作品の面白さを研究して、自分の作品に生かすことはいいような気もする。しかし森博嗣はこう考える。「人の作品を研究したことで生まれる作品など、たかが知れている」

森博嗣による小説論の核心は、「新しいものを作れ」ということだ。新しいものを作って初めて、人に注目して手に取ってもらえる。逆にいえば、どこかで見たようなもの程度だと、人は欲しいとは思わない。であるならば、人がすでに作った作品を研究したところで、売れる作品は生まれない。

そして②について。これは『創るセンス 工作の思考』の内容を少しでもかじっていれば理解できるだろう。創作、ものを作るという行為は「うまくいかないのが普通」なのであり、「マニュアルを読んでも無駄」なのであり、「何が分からないのかを知る」必要があり、「その為には実践しなくてはならない」のである。小説家になり、小説家として生きていきたいと思うのならば、まず書いて、何がダメなのかを理解して、身近にあるものを応用して、売れる作品へと追求していく観察を行わなければならないのである。

この三冊は別々のことを語っているように見えて、実はそれぞれが繋がっていて、一つの大きなことについて語っている。三冊読んだら、きっと何か得る物があると思う。

 読者に対して言えるのは、「この本が、あなたにとって本の値段以上の価値があることを祈ります」ということだけだった。読者から、僕の作品に対して「感動した」というメールが届くと、僕はいつも「感動したのは、あなたの能力によるものです」と答えている。
 したがって、本書に対しても同じことを祈りたい。
 僕の運ではなく、あなたの幸運を。(P16/小説家という職業)

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)