基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『神話が考える』の「はじめに」を読む

読んでいて何一つ頭に入ってこなかったのでもう一度、ここに自分が理解したことを書き連ねながら読んでいくことにする。読んでいて何一つ頭に入ってこなかった(つまり大部分が最高につまんなかった)にも関わらず、最後まで読もうという気になったのは、ひとえに書いてあることが理解できる範囲では非常に面白かったからである。

はじめに

なぜ今「神話」を問い直すのか。

今の時代というのは、簡単に言ってしまえば伝統にとらわれて、集団でみんな一様な考え方をしていた時とは違い、一人一人が自由に自分の考え方を選択し、好きなことをするような時代であるといえる。ただその時に、「好きなように好きなことして生きていっていいよ」と言われても困ってしまう。なので、人生の参考になるようなものが必要なのである。

そしてまあ、シンプルに書いてしまえばその人生の参考になるようなものこそが本書でいう「神話」なのだと思う。本書では神話とは『文化における情報処理の様式』として定義されている。正直言って何を言っているのかよくわかんないけど、たぶん「文化(小説とかゲームとか)を、僕達はどうやって処理、読んだり、プレイしたり、二次創作するのか?」ということなんだと思う。

で、何で「文化(しかも特にサブカルチャー分野)の情報処理の様式」が神話で、それが重要なの? と疑問に思うけれども、ネットが日々拡大しているような現状において私達の人生の参考のようなものは、ネット的な物の中にこそ数多く存在するというところから始まるわけです。サブカルチャー分野を特に扱う理由は、それが脱領域的であること(よくわかんない)と「欲望」を足場にしている点であるという。

あとはまあ、ネット的な物を抜きにしても、基本的に私達が話す言葉、やりとりだってそれは情報の交換と処理の事であって、試しに一回「世界とは情報処理の様式によって決定される」ようなものとして社会を認識したうえで、さあ分析してみましょうというのが本書の出発点のようですね。その考えの中心には、「今の批評には情報化社会に即した文化理論、つまり感性にのっとったジャンル批評やら人生論的な批評の先へ進んだ批評が必要だ」という考えがあって、まあ本書はそういうのを提示できたらいいなーという感じみたいですね。

さてさて、話は先に進んで、現代の「個々人がバラバラに生きる時代」においての問題点と、その問題点を神話はどう解決するのかについて。ここで挙げられている問題はまず「サイバービア」というのがある。現代人は余計なことで有限の時間を奪われたくないわけで→

(なぜ時間が重要なのか。個々人がバラバラだとはいっても、安全な場所を私達は欲するわけで。でも大勢が寄って立つ伝統のようなものはないのだから、局所的な集まりになってしまう。そういった時に複数人が集まる「場所」が重要になるかといえばそうではなく、メールやインターネットで触れ合う為の「同時に同じことをやっている時間」こそが重要なのではないかと本書では言っている。)

→時間を節約する為の方策が生まれる。あるタイプの刺激には即座に反応されるように訓練されるというのがそれである。というのだがこれもよくわかんない。なんだろ? まあお気に入りのサイトがオススメする本ばっかりを読むとか、映画を見るとかそういうことかね。で、そういうようなことをやってると、閉じたグループの中で完結的に過ごすことによってあんまりよくないよねっていうのが問題点。

で、その「閉じたグループになってしまう」ような問題点を回避・相対化のために神話はどうすることができるか。「はじめに」では、それは「作品を変える神話」と「場を変える神話」で区別することができるといっている。私は「作品を変える神話」の意味は今のところ把握しているけど、「場を変える神話」がよくわかんない。「作品を変える神話」とは、すでに存在している話を、二次創作することで自分達の好きなように作品を変形させること、だと思う。

対して「場の神話」に対する説明としては『作品をあまりに短時間で「分解」してしまうかわりに、ある作品を別の場所に移植し、寿命を長引かせることを狙う(P17)』ここでいうような「場所」がなんなのかよくわかんないんだよね。うーん、文化に限って言うなら、小説として発表されたものをゲームにするとかそんな感じ? そうすることによって文化の寿命が延びて、同時に作品の幅が広がって、閉じたグループで楽しまれるだけではなく、他のグループにも派生して開かれたグループになると。そういうことかなあ。

もちろんよくわかってないので適当なんですけどね。でも書きながら読んでたらちょっとずつわかってきたぞう。まあいったんまとめると、集団の欲望によって生み出される情報を処理することで、私達は神話を作っているわけですね。つまり神話とは、「客体の優位性」に根ざしていると本書ではいいます。「私達」という主体が優位にあるのではなく、「私達が生み出した情報」について考える。それこそが『神話が考える』のタイトルの意味のようですね。なかなか面白いです。

長くなってしまったのでいったんここで切りますね。

神話が考える ネットワーク社会の文化論

神話が考える ネットワーク社会の文化論

はじめに

情報処理の方程式/居合わせること/なぜ文化論なのか?/作品を変える神話と場を変える神話
第一章 ポストモダンの公私
I 今日のハイパーリアリティ
リアリティの濃縮/ハイパーリアルな神話/連立方程式としての神話/慈
愛の原理/人間の位置/神話の感情処理
II リゾーム化するサブカルチャー
リゾーム化したデータベース/ネットワーク社会の弱点/ニコニコ動画の神話性/共通知識の生成/偶然と必然
III ポストモダンの公私
西尾維新の言語行為/私的なアイロニー/神話の私的使用/ポストモダンの公私/著述のジャンル
第二章 神話の神話 二つの社会学/神話の公的使用
I リンクと想像力
リンクの芸術としてのアニメーション/豊富性と希少性/アニメーションのエコノミー
II 喪の作業
富野由悠季の紡ぐ神話/癒しとしての神話/喪の作業/複製技術時代のエロス/分散処理
III 時間操作
前史的想像力/神話作家としてのJ・J・エイブラムズ/ギークによる擬似ドキュメンタリー/「想像の共同体」の刷新
IV リズムの衝突
エンドレスエイト/観察対象の推移/自律と依存/リアリスティックな表現に向けて
第三章 象徴的なものについて 究極の中流国家
I 感情資本・自己組織化・構造主義
生権力の全盛/感情資本の台頭/ネットワークの挙動/構造主義再考/作家性の再規定
II 擬似宗教
象徴理論/擬似宗教の必要性/神話としての『遠野物語』/受動性の強調
第四章 ネットワーク時代の文学――村上春樹前後
I コミュニケーションの地平
コミュニケーションの再規定/共同主観からコミュニケーションへ/屈折効果/「チェンジリング」 の物語
II ライトノベルケータイ小説
新種のパルプ・フィクション/服従と創造の二重性/中国語圏のライトノベル/コーパスの差異/台湾の網路小説/ケータイ小説の文体的特徴/触媒のリアリズム/意味の意味
III 村上春樹
文学とは何か/純文学の神話/村上春樹の 「世界」/市場から半歩ずれること/世界のスケール/生を超えること/世界認識の型
IV ハードボイルド的主体性
ハードボイルド・ワンダーランド/レイモンド・チャンドラーにおける動物/ホームズ型探偵とマーロウ型探偵/男性的なもの、女性的なもの/様式の集積としての文学史
第五章 ゲームが考える――美学的なもの
「何でもあり(エニシング・ゴーズ)」/生態系のミメーシス/ゆるさ、たわいなさ
I ゲームと機知
整合性の獲得を目指すジャンル/セミ・ラティス型の構造/メタレベルのオブジェクト化/ネットワーク消費/ノンセンスな物語/機知の方法論/ゲームの時間性/肉声の隠蔽/新種の文字
II ルイス・キャロルの文学
秘教的な語/「今」 を回避するノンセンス/観念的ゲームの機知/世界との関係性/文明の臨床医
おわりに
近代的原理の復興/動物性に基づく私的領域/四つの象限/より多くの神話を!

キーワード解説
あとがき
索引