基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

プロとアマチュアの違い

色川武大という雀士がいます。別名で有名なのは阿佐田哲也、などでしょうか。麻雀の分野では一番有名といってもいいぐらいの超ビッグネームであり、週刊少年マガジンなんかでは「哲也―雀聖と呼ばれた男」も連載されていましたな。まあそのあたりのことは別にどうでもよいのですが。

で、その阿佐田哲也氏が書いたエッセイの『うらおもて人生録』という本が、何故か手元にあったので特に読みたくもなかったのですが、ぱらぱらとめくってみたわけです。そうしたら「プロとアマチュアの違い」について語っていたところがある。ふむふむと読んでみたら、これが非常に面白かったので書いておきます。

結論から先に言えば、プロというものは「フォームの世界」なんだってことです。フォームを維持する、できるものがプロなのです。

たとえば野球の話をしますと、たまたま調子が良い選手がいる。観客はその選手に、見に来たその日にいっぱい打って欲しいし、ホームランだってみたい。しかし選手にとってはその日だけが試合ではない。次の日も、一年後も打たなければならない。そんな時に、選手の側にも欲が出てしまって、「ホームランを打とう」として、平常よりも大振りなバットの振り方をする、そうするとフォームが崩れる。その時はあまり意識しないかもしれない。がしかし、小さなフォームの崩れが、いずれ大きなスランプとなって選手を苦しめる。

昔、広島カープに白石という監督がいて、どんな人かと言えば「王シフト」というのを考えた人だそうです。どんなシフトかというと、王選手が打席に立った時だけ、守備を右翼に偏らせる。だから左翼へ流し打ちをすれば簡単にヒットが打てる。「当分レフトへ打たれてもいい」と思ったのだそうです。そうすれば「王のフォームが崩れるから」と。

しかし王選手は流さないで、偏った守備が行われている右翼にガンガン打っていって作戦は失敗だった、と。フォームというのはつまり、「これさえ守っていれば大丈夫だ」という信念のようなものなのですよね。大丈夫だって、何が大丈夫なのかといえば、「これさえ守っていれば勝てる」という祈りみたいなものです。

プロの博打打ちであれば、5分5分の勝負をしていたら生活していけません。せめて6分4分で勝たなければ、利益がでない。だとしたら、「6分4分で勝てる」方法だと自分が信じているものこそが、その博打打ちにとっての「フォーム」なのです。

「思いこみやいいかげんな概念を捨ててしまってね、あとに残った、どうしてもこれだけは捨てられないぞ、と思う大切なこと。これだけ守っていればなんとか生きていかれる原理原則、それがフォームなんだな(p.84)」

当然4分は負けますから、その都度不安になることもあるでしょう。一年単位で観た時に、半年近く負け続けることもあるかもしれない。決してありえないことではない。4分ってのはそういうことですからね。しかしその時にも、自分の選んだフォームを守り続けること。あともう少し待てば6分が来ると信じること。それがプロだ、と。

対してアマチュアは、一発全力主義、「持続して勝つ」なんてことは考えなくてもいい。たとえば甲子園なんかは、次なんかないんだから全力投球しなければならんのです。そしてそういうことが出来るのは、「そこで終わってもいい」という、「未来を考えない」方法だからこそなんですよね。

「未来」を考えるか、「今」を考えるか。そこがプロとアマチュアの違い、といえそうです。

うらおもて人生録 (新潮文庫)

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