凄くどうでもいいというか、凄く常識的な話なのですけれども自分にとってはへぇーという感じの内容だったので一応メモしておきます。随分前に読んだリチャード・ドーキンス氏による『神は妄想である―宗教との決別』という一冊の中で氏は「無神論者になることこそが、より人としてもっと立派な、正しい判断ができるようになる」とかそんなようなことを言っていたんですよね。僕はそれを読んで「えーでもほとんど無神論者みたいな日本人は別にそんなに素晴らしくないよなー」とか割と的外れなことを考えていたんですけど、アメリカにとっての「無神論者」っていうのはもっと凄い人たちなんだな、てのが『見えないアメリカ』読んでたら書いてあるんですよね。
「無神論者」は彼のような国際的な視野をもったインテリに多い。無神論者が共産主義者だというアメリカの保守派の攻撃には誇張もあり、共産主義者はたしかに無神論者にならざるをえないが、その逆はかならずしもあてはまらない。つまり、無神論者がつねに共産主義者というわけではない。彼はその好例だ。非共産主義の無神論者は、例が居なく世界の宗教に非常に詳しい。あらゆる宗教や宗派を深く勉強し、神が存在しないとの結論に納得ずくで到達した人たちであり、政治イデオロギーの帰結として宗教に嫌悪感を抱くわけではない。(中略)「無神論者」というのは、ある意味で「宗教の臭い」にきわめて敏感なひとたちである。日本人の感覚でいう「無宗教」というのはまったく異なる。アメリカの「無神論者」は膨大な施策を経たうえでその考えに到達しているので、洞察と知識をもって堂々と自説を主張する。
アメリカで「無神論者」を名乗るという事は、それについて自説をもっともらしく、説得力を持って展開できなければいけないんだなぁーという印象。共産主義か、民主主義かの二者択一を厳しく迫ってくるような文化の元では、日本人的な「よくわかんないから神にも宗教にも無関心」という態度を決め込むことは不可能なようだ。ようはそれだけ国に宗教性というのが反映されているのだともいえる。
- 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/05/25
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