『死ぬ瞬間―死とその過程について/エリザベス キューブラー・ロス』を読んでいたら、死を受容するまでには大体においてこの過程を辿るという、死の五段階説が提唱されていた。ちょっと面白かったというかメモっておきたかったので一応ここに書いておこう。その五段階とは以下の通り。
1.第一段階/否認と孤立
医者から「あなたは不治の病です」と告げられた後も、しばらくはその事実が受け容れられずに「いや、私が病気のはずはない」「医者が間違っている」といって現実を否認する。一人現実を受け入れようとしないので、その結果周りから孤立していく。対処法は、相手がちゃんと事実を受け入れられる状況を作ったのちに、告げることかな。いきなり「あなた三カ月は生きられないから」と言われたら、そりゃあ死にたくなるってもんでしょう。
2.第二段階/怒り
最初に病気を告げられた時に「そんなことはありえない」という反応が来て、その次に次第に弱っていく自分と深刻な接し方をする周りをみることによって「本当に死ぬのだ」ということを認識していく。そして次に現れる感情は「どうして私が死ななくちゃならないんだ」という怒りであるそうだ。何で世の中にはもっと死んだ方がいい人間がいっぱいいるのに、「なぜわたしなのか」。自分は毎日薬と検査で死にそうな目にあっているのになぜ他の人間は映画を見に行ったりプールに行ったりできるのか。怒りを鎮める方法は、「怒りを表に出してもいいのだ」ということだとか。
3.第三段階/取り引き
何かにすがろうとする心理状態のこと。「もう少し良い行いをするので、命をながらえさせてください」と思うことをこの段階では取り引きと表現している。あるいは「息子の結婚式が一週間後に控えているので、せめてそこまでは生きながらえさせてください」と。これはこれで、死を受け入れつつあると言えるのかな。ただほとんどの患者は、息子の結婚式に出席できたとしても死ぬことを受け入れることなどなく次の取り引きを持ちだすという。「上野息子は結婚しましたが、私にはまだ下の息子が居るんです」と。
4.第四段階/抑鬱
否認をしても、怒っても、取り引きをしても無駄だと知ると鬱状態になる。当然だろう。何しても無駄だっていうんだから、そりゃあ鬱にもなるってもんだ。だからこそこの段階でできることはほとんどなく。ただひたすらに話を聞いてあげるとか、死についての話し合いを着々と進めていくことが求められる。
5.第五段階/受容
ここにいたってようやく患者は自分が死ぬのだという事を怒りもせず、喪失感も覚えないで受け入れるようになる。ただそれは悟り的なものでもなく、感情がほとんど欠落するせいであるという。死が間近に迫ることによって体力気力が衰えて、何も感じなくなっていき、「生きよう」と抵抗するのをやめて、「安らかに死にたい」と思うような状況である。
6.希望
当然これが順序良く現れていくわけではないし、順序がばらばらだったりはては入れ替わっていたり、こなかったりと色々あるだろうが各段階を通してずっと存在するものが一つある。希望がそれで、ほとんど望みのない末期がん患者でさえも、「新薬が開発されるかもしれない」と希望を棄てないそうで。たぶん希望みたいなものがないと、人間というやつは精神の安定を保てないんだな、とこれを読んでいて思った。
さてはて、しかしこの五段階を知ったからと言って何が変わるだろうか。生きていれば必ず死ぬので、周りの誰かが今は元気いっぱいでもいづれはこの段階を追って行くことは明らかである。その時に、相手がどんな状態かを知っておくことは当然役に立つだろう。受け入れてあげやすくなるだろうし。想像するのも怖いが、自分がなった時は──これはもう、やれるようにやるしかない(なんじゃそりゃ)。
- 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,鈴木晶
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