常識を疑うことこそが科学だというようなことを言っていたのが『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方/竹内薫』ですがその意味でいえば、「そもそもぼくらなんで死なないといけないの?」というある意味哲学的な問いこそはまさに「誰もが信じて疑わない常識」を打ち破るものでしょう。そしてこの問いが、シンプルながらも人が生きる上での全てに通底していて非常に興味深い。死があるからこそ、有限の生に価値を見いだすことが出来るからです。
目次
まえがき 私がなぜ「死」の謎を追うのか
第1章 ある病理学者の発見
第2章 「死」から見る生物学
第3章 「死の科学」との出合い
第4章 アポトーシス研究を活かして、難病に挑む
第5章 ゲノム創薬最前線
第6章 「死の科学」が教えてくれること
そもそも何故人が死ななければならないのかと言えば、それは私たちの身体を形作っている細胞が、「アポトーシス」という名の「プログラムされた細胞の死」が発動するからです。アポトーシスはいわば細胞の自殺とでも言うべきもので、特に何の規則性もなく死んでいくわけではなく、傷ついたり生命が生きていく上で邪魔になった部分をどんどんアポトーシスさせ殺し、また新たに再生することによって身体を常に新鮮に保つ為にそんな機能がついているそうです。
本書の序盤から終盤にかけては、このアポトーシスの機能を追いながら現在の医療にどう応用していくのか、現在においての死の科学の最前線を追っていきます。たとえば細胞の異常増殖が問題とされる癌を死の科学的に問いなおせば、問題点は「どのようにして癌細胞にアポトーシスを起こさせるか」というところにあります。
癌細胞の厄介なところは本来アポトーシスを起こすべき細胞が、何らかの理由によりアポトーシスを抑制してしまっているところにあります。ですので、「何らかの理由でアポトーシスを抑制している」原因を判明させることができれば、その抑制している何かを解除する薬を作ればいいわけです。無闇やたらに身体を切り刻んだり、周りの細胞ごと放射線で殺しつくすのが今までのやり方でしたが(その分副作用が強い)この特定の癌細胞だけを狙った方法ならば、副作用が極端に少なくて済む上に確実だといいます。
そのあたりの話も知らない事ばかりなので面白いのですが、最終章である、第6章「「死の科学」が教えてくれること」からがまた面白いのです。私たちの身体を新陳代謝を繰り返し、悪い細胞や傷ついた細胞を新しい細胞をとりかえる為に「死」があることはわかったのですが、しかしそもそもなぜ「傷ついた細胞をとり変えなくちゃいけないのか」と問うのです。
なぜなら、その昔生命が誕生したばかり、原核生物の時代には、生物は死ななかったからです。複雑な構造を持っていなかったという事ももちろんありますが、この原核生物の特徴は何かと言うと「性」がないこと。延々と自分のコピーを作り続けて絶えず増えていくこの生物には、突発的な事故死以外死がなかったそうです。
この原核生物は遺伝子のセットを一組だけ持っている「一倍体」の生物だったのですが、途中から一倍体の生物が接合して、二組のセットを持つ「二倍体」の生物が生まれてきます。これなら片方が潰れても生きていけますからね。そう言う利点があったから、生まれたのでしょう。なにはともあれここで「性」が生まれるのです。
一倍体の時は単にコピーするしかなかったのですが、二倍体になって遺伝子をシャッフル出来るようになり、より環境に広く対応できるようになってきました。「性」によって豊かな対応力を得たと言えます。で、ここからが死に関連した話になってくるわけですが、遺伝子をシャッフルすると時にはあんまり好ましくないものが出来たりするわけですね。
そこでアポトーシスの出番というわけです。1.コピーだけじゃ適応できないからシャッフルするよ→2.シャッフルしたのはいいけど良いのも悪いのもあるよ→3.悪いのは殺すよ!!→4.死が生まれた!! というわけです。
だったら別に親は死ぬ必要なくない? と思いますが、しかしどんどん新しく進化していく子孫に対して、いつまでも古い遺伝子を持った親が居座り続け、あまつさえ子孫と親の結合が始まってしまうと、進化の足を引っ張ってしまうんですね。
つまり種として生きながらえる為に、個々の個体はどんどん死んでいくと言っているようです。その昔リチャード・ドーキンスという作家は『利己的な遺伝子』という著書の中で、遺伝子はみんな自分が生き残る為(遺伝子を残す為)に自分勝手(利己的)に行動する、したがって「生物は遺伝子の乗り物にすぎない」と言いました。
がしかし「死は何故存在するのか?」という観点で生物を捉えなおしてみると、その本質は「利他的」であるように思えます。私たちがどうしたって死ぬ運命から逃れられないのは、そうした方がより種としての寿命を延ばすことが出来るからでしょう。まあこれも「種を存続させる」という意味では、利己的と言えるでしょうが自分を消し去るふるまいは利他的であるといえます。
本書ではそのことについてこう表現しています。「遺伝子が利他的な存在であるということをもう少し丁寧に表現すれば、「遺伝子が真に利己的(自己的=selfish)であるためには、利他的(altriustic)に自ら死ねる自死的(suicidal)な存在でなければならない」」(p.154)
どうでもいいですけど僕はこういう、なんか矛盾しているようなところが好きなんですよね。だいたいの問題って本質の方までさかのぼると、大抵矛盾が見つかる、ような気がします。ジレンマともいうかな? 科学と真理は近づくことはできても決して重ならない、という問題とも近いのではないかと思います。何にしろ面白い一冊でした。おすすめ。
- 作者: 田沼靖一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/07
- メディア: 新書
- 購入: 10人 クリック: 383回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
- 購入: 27人 クリック: 430回
- この商品を含むブログ (177件) を見る