『読書について/ショウペンハウエル』を読んだ。内容を簡単にまとめてしまえば、「読んだことを鵜呑みにするな」「他人の意見を自分の意見にすり替えるな」という二つの事を言っているように思いました。印象的だったのが、この言葉。「本を読むというのは、私たちの代わりに他の誰かが考えてくれるということだ。だから一日中おびただしい分量を読んでいる人は自分で考える力がだんだんに失われてしまう。」
耳に痛い。しかし真実でもある。本を読んでいる間は、文字を一文字一文字追っている間は、私たちは自分で考えることを封じられてしまう。何しろ文字を読むという素晴らしく高度なことを行っているのだ。文字を読みながら考える、などということがはたしてできるだろうか。むりむり、というところ。
じゃあどうすればいいのか。世の読書本にはその対策が数多く書かれている。僕も読書が好きなので数限り無く読んだが、おおよそ数通りにまとめられるのではないか。一つはツッコミを入れながら読め、というものであり、読んでいる間に著者に対して「それはどうなの?」と疑問を投げかけながら読めというものである。
そして二つ目は、読書記録をつけるというもの。たとえばこのブログに書いているようなのもそうですし、ツイッターで読みながら読んだ内容をポストするという方法も最近はよく行われている。大別してしまえばこの二つだろうか。もちろんこの二つの方法は大変良いと思う。ただその中間に、もう一過程挟んではどうだろうか。
まあ、要するに、インプット(本を読む行為)はインプットで集中して行い、アウトプット(ブログなどに書く)はアウトプットで集中して行い、そして中間の行為として(ぼんやりと本について考える)時間を入れるのがよかろうという話なのです。インプットもアウトプットも、それは中に入れて外に出す行為であって、その中でこねくり回す時間が必要なんじゃないでしょうか。
僕は犬を飼っていますので朝に30分夜に30分と一日に合計一時間散歩をします。そのほかにも駅まで歩いて帰ってくる時間を加えると一日だいたい一時間半を散歩に費やしていて、ここでその日読んだ本について考えることにしています。そうすると結構、本についての理解が深まる、というか自分なりに楽しむことが出来る。考えると言ってもそんな大したことじゃあないです。
面白かったか、面白くなかったか。面白かったとしたらどこが面白く、面白くなかったとしたらどこが面白くなかったのか。そしてどこかが面白かったのならば、そこはなぜ面白いと感じたのか。基本的には「疑問に思ったこと」を追求していく。その為の何もない時間、ぼんやりと考えるだけの時間に散歩は最適です。
本を読んだ後10分でも20分でも、その本についてじっくり考える為に散歩してみたらどうか。まあ別に散歩でなくても、頭が自由になる単純作業だったら仕事だろうが電車の中だろうがご飯食べていようがいいんですけどね。要するに、ぼんやりと考えるのは結構一つの本を消化するという意味ではかなり有効なのではないか、というアレでした。
- 作者: ショウペンハウエル,赤坂桃子
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