村上春樹へのインタビューの取材申し込み依頼のメイルへの返信に、村上春樹は「The author should be the last man to talk about his work」という言葉を引いたそうで。その言葉に沿う形で、このインタビューは村上春樹自身による自作の解説、というよりかは村上春樹の小説家としての在り方を問うような質問が多かった。
聴き手はひとり。聴き手がよく村上春樹の著作を読みこんでいるのがインタビューの節々から伝わってくる。そして、誠実に、話を筋道立てて聞こうとしているのが読みとれて、非常によかった。たまにこういうインタビューで、著者の本をろくに読まずに、とんちんかんな質問を繰り返す例が見られるけれども、さすが新潮ともなると、そのあたりはしっかりしているのかな、と思いながら読んだ。
……ら、このインタビューの聴き手である松家仁之氏、この『考える人』の編集長でもあったそうだけれど、これを最後に新潮社を退職してしまうそうである。「おお、すごい」と感動した次の瞬間にはがっかりしてしまった。というか、やはりこれぐらいよく出来る人が新潮には何人もいるんだな、と思っていたら編集長レベルだったのか。しかも退職してしまった。
インタビューは、僕が村上春樹の大ファンであることも手伝って大変面白かった。
たとえ話が物事を理解する為の最良の方法だけれども、村上春樹の小説にしろ、普段の話にしろ、話を滑らかにする為に大量のたとえ話、比喩が使われる。個々人はその比喩を、自分の身に具体的に当てはめて、深く共感を覚える。だから比喩の能力が巧みならば、単純な理屈で「より多くの人に共感を生みだすことが出来る」。
インタビューを読んでいたら、やっぱりこれが村上春樹が世界中で読まれている理由の一端であろう、と思った。村上春樹を楽しめるか否か、そこには「比喩かどうかすらよくわからないものの中に意味を見いだそうとできるか否か」という能力が関わってくるのだろう。
読んでいて、感銘を受けたところを幾つか。色々とネット上で引用されているすばらしい部分もあったのですが、ここにまた書いても意味がないので外しました。
村上春樹作品を読み解くという行為について
村上 説明するのはずいぶんむずかしいなあ。謎があるから解答がある、質問があるから答えがあるというものではない、ということです。これが謎です、これが答えです。これが質問です、これが解答です。それをやってしまうと、物語ではなく、ステートメントになってしまいます。そんなの原稿用紙三枚くらいで終わってしまう。それができないから、三年ほどかけて、骨身を削って長い小説を書いているわけです。だからほんとに頭のいい人は、小説なんて書きません。こんな効率の悪いことは、とてもやっていられないから。
小説というのは、もともとが置き換え作業なのです。心的イメージを、物語のかたちに置き換えていく。その置き換えは、ある場合には謎めいています。繋がり具合がよくわからないところもあります。しかしもしその物語が読者の腹にこたえるなら、それはちゃんとどこかで繋がっているということです。そういう「よくわからんけど機能している」ブラックボックスが、つまりは小説的な謎ということになります。そしてそのブラックボックスこそが、小説のライフラインなんです。読者はある程度そのブラックボックスを、よくわからないなりに、自分の身のうちに抱え込まなくてはなりません。そしてできることなら、そのよくわからない性を、自分なりの「よくわからない性」にモディファイしなくてはならない。もし真剣に自律的に読書をしようと思えば、ということですが。
──自分にとって切実な謎に置き換える
村上 そうです。そこに生じた質問を、自分にとってより身近な、切実な質問に置き換えること。その落差のなかにおそらくは解答が潜んでいるんです。
「何かよくわからないものと出会った時に、早急に答えを出してしまうのではなく、ちょっと待てよと立ち止まって考えてみること」とでもいうのでしょうか。僕たちはわからないものに出会うと、よくわからないものが怖いので本能的に「これはこういうものだ」と答えを与えてそれで終わりにしてしまいますが、それは結構怖いことですよね。間違っているのかもしれないんですから。そして、そのよくわからないものについて、自分の身に引きつけて、自分なりに考え続けていく。小説というものの本来の役割は、そこにこそあるのでしょう。
ごはんを食べて、地下鉄に乗って、中古レコード屋に寄って、というふうに普通に生活しているとき、村上春樹というのは何ら特別な人間ではありません。そのへんにいるただの人です。ただ、机に向かってものを書くときだけ、僕は特殊な場所に脚を踏み入れていくことのできる人間になります。それはあらゆる人に多かれ少なかれそなわっている能力かもしれないけど、僕はたまたま、それをさらに深く追求する能力を持ち合わせているんだと思う。地上に生きている分には普通だけれど、地下を掘っていく能力と、そこに何かを見つけ、それを素早くつかみとって文章に置きかえる能力だけは、普通の人以上のものをたぶん持っているのだと思う。特殊技術者として。
村上春樹という人は、常に「自分の能力の限界はどこか」を見極めようとしている人なのだな、とこのインタビュー全体を読んで思いました。たとえば、イチローが毎日栄養配分を考えたカレーを食べ、ストイックに自身のパフォーマンスを最大に保つ練習をこなし続けているような感じで。毎日決まった枚数を書き、長距離ランナーの要領でペースを保ち続ける。そして自分に何が出来て何が出来ないのか。そのラインをシビアに見極めて、「出来る範囲を出来る限り広げていくチャレンジを行う」。恐らく、何事かを成し遂げるのは、そうやってストイックに自分を広げていく行動が取れる人なのだろうな。最後に、村上春樹のストイックさが端的に現れている文章。
僕は基本的に人間というのは実験室みたいなものだと思っているんです。ただ、やり直しのきかない一度切りの実験室だから、とにかくデータをきちんきちんと我慢強く積み重ねていって、どんな結果がでるのかを、自分の目で確かめるしかない。あるいはろくな結果が出ないかも知れない。それでも何もしないよりは、目標を決めてデータを積み上げていったほうがいいだろう。とにかく自分の身体で試してみるしかない。毎日早寝早起きの生活をして、しっかり運動をして、ある種の節制をして、正しい物を食べて、と並べていくとなんだかばかみたいだけど、それを長い歳月続けて行ったら、自分の身にどんなことが起こるだろう? それを見届けたいと言う気持ちがあります。あくまで好奇心ですね。そう言う事をした作家はあまりいない気がするから。
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