1997年から2009年にかけての、村上春樹インタビュー集。これはもう、大変に面白かった。ページをめくりながら、残りページが減っていくのが悲しくてしょうがなかった。どんなことにそんなにひきつけられるのかわからないけれども、とにかく理屈抜きに僕は村上春樹が好きなのだと、本を読むたびに思わざるを得ない。
果たして村上春樹のインタビュー集を読む人は、いったいそこに何を求めているのだろうか。各作品の謎解きだろうか。本書にはアフターダークから、海辺のカフカ、スプートニクの恋人まで、色々な作品について村上春樹が語っているけれども、僕は正直そこのところにはあまり興味がない。
あるいは、人生について何らかの啓示を得たいとか。啓示とかいうとたいそうな言葉だけれども、要するに何らかの教訓を得たい、一流の小説家の話すことを聞けば、一流にたどり着くまでの道筋がわかるかもしれない。僕はどちらかといえばこういう目的で読んでいると思う。
しかしそれ以上に読んでいて思ったのは、読んでいると純粋に面白いのだなあ。まるで小説のキャラクターのような村上春樹のしゃべり方は、まるで物語を読んでいるような気分にさせられる。
意味深な言葉でしゃべっているその内容はまるでカフカか何かを読んでいるようだし、社会から出来る限りはなれて個であろうとする姿勢はなんだかサリンジャーの小説を読んでいるようなので。たぶん、かなりの部分は演出なのだろうな、と思う。
読んでいるとわかるのだけれども、「小説家」という仕事に対してかなりストイックなのである。世に小説を発表できる立場にいるのだからできる限りよいものをと心がけ、小説は最善の物になるよう、何回も書き直し、賞などをもらった際はエルサレムのときのように危険を冒してまで講演に行く。
おそらくこういう「作家村上春樹」として扱われるインタビューの席では、なるべくしゃべり方、その内容まで含めて「作家村上春樹」でいようとしているのだろう、と僕は推測する。その呆れるまでの最善を尽くそうとする姿勢に驚嘆する。村上春樹をここまでのしあげてきた理由のひとつは、「できるかぎりよいものをと心がける」その姿勢にあるのではないかと思う。カート・ヴォネガットはそれを創造だといった。
内容をすべて書いていくわけにはいかないので、なんとなく心に残ったことだけ。何度もインタビューの中に出てくるフレーズがある。それは物語を書くことについて。
フィクションを書くことは、「自分の中の井戸にもぐっていくこと」「自分自身を家にたとえたとき、地下の部屋に行くこと」「おきている時に夢を見ること。夢を見てその奥のほうへと入っていくこと」などと色々な表現で答えている。
そしてその行為は、長くいればいるほど危険なのだという。何があるのかわからないから。そしてその地下、夢、井戸というものは誰しも共通して持っているもので、だからこそ、その場所で拾ってきたものは読む人の多くに影響・共感を与えることが出来る。
僕は何日か前に『神話の力』という本を読んで、その本の内容は簡単にいってしまえば「神話の時代から現代に至るまで繰り返し語られてきた物語は、あるパターンを持っており、そのパターン、物語性こそが世界の言葉にすることのできないある種の真実を伝えている」といういうようなものだ。
僕は『神話の力』を読んでいる時は割と話半分に受け入れていたけれども、それから事あるごとにやっぱりそうだよなと思うことが増えていて、村上春樹の話を聞いていてもやっぱりそれは同じだった。確かに話を聞いていると、そういう普遍的な「何か」は存在するような気がしてくる。
村上春樹の言う井戸だか地下だかなんだかも、そこにアクセスするための手段なのだろう。なんだかとっても宗教的で意味のわからない話なのだけれども、僕が村上春樹に理屈抜きで惹かれる理由はそういうところにでも求めないと、よくわからないのだ。というわけで大変面白かった。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/09/29
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 26人 クリック: 656回
- この商品を含むブログ (195件) を見る