何年かぶりに読み返したら、大変おもしろかった。明らかに前よんだときよりも、面白く読めて、また同時に前はわからなかったことがよくわかった。こういう、自分の成長あるいはプラス方面ではなくマイナス方面への成長かもしれないですけど、そういう変化を感じ取れるのは再読の楽しみですよね。
本書は十章で構成されており、章ごとに前半部が文学部に所属する唯野教授が参画する学内政治ゲーム、後半部が唯野教授による文学批評の歴史、解説なのですがどちらも非常にクォリティが高い、というよりも「うまい」と読んでいてうなってしまいました。
ストーリーとしてうまいのが唯野教授の初期設定で、「文学部教授は小説などを書いているとバカにされる」「唯野教授はだから隠れて小説を書いている」「バレたら出世はなくなり全ては終わってしまう」唯野教授は常にこの三点の設定、ジレンマによって「作家活動がバレないように苦心」していきます。
そのあたりのテンションの駆け引きが、もう抜群にうまい。バレそうでバレない、バレなかったと安心したら正体を知るものが現れる、密告者も現れそちらの根回しもしなければならない、と問題は山積み。そして唯野教授が破滅へと向かうに連れて、学内政治と講義もクライマックスを迎えていく、色々なシークエンスが同時進行していくのが、大変面白かったです。
しかも半分は文学批評の講義にページを割いているというのに。そしてこちらのクォリティも、驚くほど高い。ここで唯野教授は、面白い/面白くないといった個々人の単なる好みを扱った「印象批評」から始めて、「はたして文学には良い悪いの評価を決める軸を設定できるのであろうか」という問題に取り組んでいきます。
うん、まあなかなかうまくいかないんですけどね。そしてそのうまくいかなさ、というか次々と出てくる文学を体系化しようとか、法則化しようとする行為がいかに無意味でアホ臭い行為なのかが全編にわたって書かれてしまっている。
「小説とはこざかしい理屈なんてなくて、面白いか面白くないかがすべてだ」ちう低レベルから始まって、「小説の役割とは人生訓を書くことだ」とかいうわけのわからない一元化を通り抜けて、網の目のように広がった文学の意味を「よい」とか「悪い」とか評価してはいけない、あるとすれば『私にとってはこれこれだ』しかだめだというポスト構造主義の批評にまで辿り着く。
そして最後に唯野教授による新しい批評論がほのめかされて、講義の部分は終わる。それはどうも、今までの文学批評は歴史宗教哲学言語学その他ありとあらゆるものから借りてきた理論でもって批評することが多かったけれど、唯野教授が言うには「虚構の、虚構による、虚構のためだけの理論」あるいは「虚構の中から生まれた、純粋の虚構だけによる理論」
そんなものが可能かをやるわけ、といって終わる。まあそこで終わってしまっているのでどういうものなのかはよくわからないんですけど、あるいはこの『文学部唯野教授』そのものが、唯野教授が言うところの、「虚構の、虚構による、虚構のための批評」なのかもしれないなぁと。そう言う意味でもうまいなぁ、と思ったんですがね。まあ理論dめおなんでもないので違うといえば違うのでしょうけど。
繰り返し読める傑作です。
- 作者: 筒井康隆
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/01/14
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