基本読書

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偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活

SF作家の円城塔氏が読書メーターで『素晴らしい。凄まじい。もの凄い。』と怒涛の三連続コメントを残したのがこの『偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活』であり、読んでみたらたしかにこれは凄まじい。凄まじい人です。本書は1983年に一度発刊されたのち、絶版になっていたようですがこのたび訳注の追加と訳を改め復刊しました。

1920年代、著者の実験室に1人の人が「自分の記憶力を調べてほしい」と尋ねてくるところからこのお話は始まります。この人が本書でずっと書かれることになる記憶術者であるシィーなわけですが、その記憶力が凄まじいのです。いやもうこれは記憶力などというものではなく、もっと別の何かです。

何しろ、30、50、70、の語を口で言おうが文字に書こうが一瞬にして覚えてしまい、前から読むことも後ろから読むことも順列をばらばらにして読むことも、自由自在。しかも本当に凄いのは、これが「何十年もあとに同じことを尋ねても正確に同じ答えを出した」ということです。いやはや、現実の存在とは思えない。

そもそもシィーはどのようにしてその超人的な記憶をしていたのか。どうも、そのカギは「共感覚」にあるようです。共感覚とは音を聴くと色や形が見えたり、色や形を見ると音が聞こえ、においが聞こえるというような人とは異なる物事の感じ方をすることを言います。

最近読んだ本だと、どうやら共感覚は脳の中にある色や形を感じる配線と、音を探知する配線などがごちゃごちゃになってしまった結果起こる現象のようですが、まあ本書では「シィーは共感覚を持っていた」というのが重要なのです。通常幾つかの感覚が錯綜するだけで終わるはずのこの共感覚が、シィーに関して言えばごちゃごちゃに絡まり合って豊かな記憶力と結びついていたようです。

たとえばaという音、これを白くて長いものと感じるようです。1──これは、するどい数で、何かまとまった、硬いもの。2──これは、より平べったく、三角の形をした、白味がかっておりやや灰色をしていることがよくある……というように、日常僕らが経験するありとあらゆるものが、シィーにとってみれば豊かなイメージと繋がっているものなのです。

よく僕らは記憶する時に、1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府とか、元素記号を覚えるときの水平リーベなどの、語呂合わせ、そこに何らかの関連性を見いだして覚えようとしますが、シィーの記憶力はそのようにして豊かになっていくのでしょう。それにしたって何十年もあとに、昔覚えさせられた無意味な語の羅列を苦も無く暗証できるというのは、異常なのですが。

『緑の』という語を聴くと、色のついた緑色のツボが現れ、『赤い』という語を聴くと、上手くに合った赤い上衣を着た人が現れる──そのようにして、提示された文、文字を一つ一つ像に変換し、配列していくことによって一種のストーリーを作り上げ、覚えていったそうです。その結果、そのような感じ方をする人の生活はとても不思議なものになります。たとえばこんな風に。

「私はレストランに坐っています──と音楽が始まります……何のために音楽があるかおわかりですか? 音楽があると、どの料理も味がみんな変わります……そして、必要に応じて、ふさわしい音楽を選びますと、どの料理もおいしくなります。……おそらくレストランで働いている人は、このことをよく知っているのだと思います」。*1

「私は音にもとづいて、料理を選びます。こっけいなことなのですが、マヨネーズは、大変おいしいのですが、しかし、ズという音が、その味をそこないます……ズという音は、気分のよくない音だからです」。*2

とても不思議な、想像力が刺激される世界です。文字列ひとつとっても物語になり、ひとつの物体とその言葉は複数のイメージを想起させます。読んでいて、「この人が小説を書いたら、いったいどんなものが出来上がるのだろうか、きっと凄まじいものが出来るに違いない」と考えたりもしました。

ここからが一番驚いた、凄まじいと思ったところなのですが、シィーによる凄まじい想像力は、自分自身の状態を自由自在に変えることが出来るのだ、という点です。シィーは自分の心臓の働きや、自分の体温を随意にコントロールできると話しました。

心拍数があげたくなったら汽車を追いかけているのを想像し、何とか追いついて階段に飛び乗ろうと凄まじい勢いで走っているという「想像」。それだけで彼は、自分の心拍数を自由自在にコントロールすることができる。そして、右手に熱いものに当てているところを想像するだけで、左右の手の温度をコントロールすることができる。

同様の方法で痛みも抑えることが出来る。シィーは子供の頃、学校に行きたくないあまり想像の中で学校に行き、本当に学校にいったと思い込んでいるところを親に怒られたそうです。想像と現実の区別がつかなくなるほどリアルな「想像力」とはいったいなんなのか。

というか、「想像力」ってのは、そんなに自分の身体をいくらでも変えることが出来る凄まじいものなのか。想像するだけで体温を変化させ、痛みを消し、心拍数を変え……そして全てを記憶する──人間以外の生物が進化の果てに到達するような諸能力が、凄まじい想像力によってなされる──にんげんって、すごいな。というのが本書を読んだ僕の偽らざる感想です。

偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)

偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)

*1:p/95

*2:p.96