基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

人生の奇跡 J・G・バラード自伝

読んでいて久しぶりに、ああ読書って楽しいなぁ……と思えた作品。J・G・バラードという有名な英国のSF作家が書いた自伝ですが、その内容は物語のように起伏が富み、まるで自分が著者自身になったかのように、一つ一つの物事が同じ目線で感じられて、感動しました。自伝のような小説という言葉があるように、小説のような自伝という言葉がもしあるとすれば本書はぴったり当てはまるでしょう。

1930年の上海に生まれ、幼年期を日本の侵略、第二次世界大戦の中で過ごし、思春期を日本軍による収容所の中で過ごし……とこれだけでも大概な人生ですが、その後英国へと渡り医学を学び、死体を解剖し、妻と出会い、子供が生まれ、別れ、そしてまた新たなる出会い、最後に自身への死の宣告……彼の身に起こったことは、どれ一つとっても楽しい出来事ではない。

しかしそれでも、本書は人生への賛美に溢れている。人間が理性的に行動できるのは合理的にあるのが相応しい場面だけで、後の時間は残酷さと暴力に支配されているしながらも、同時にそこに美しさを見いだそうとしている。第9地区という映画への評として、押井守は「ゴミ溜めを撮っても意識して撮ればそこに美しさを表現することができる。」と書いていて、そのことを思い出しながら読んでいました。

あとやっぱり、上海での体験や人間を解剖しながら「人間について」考えたことが、作品に様々な影響を及ぼしているのだろうなと思った。たとえば収容所暮らしが終わり、上海から英国へと帰る船の中で、英国兵との会話が印象的。日がな一日酒を飲んで過ごし、お互い同士ですら口をめったにきかず、英国人少女にも関心を持たなかったという。

 わたしはこれに深く感銘を受け、今なおその驚きは褪せない。飢えて自暴自棄になっていた日本兵との戦闘について訪ねても、兵士たちは話したがらなかった。ときどき、日本兵の銃剣突撃を撃退するとき、みずからの隣で死んでいった死せる戦友のことをぽつりぽつりと話した。サザンプトンに錨をおろしたとたんによみがえり、武器を回収するとふりかえりもせずきびきびと行進して消えた。これまた深く印象的な出来事だった。兵士の中にはわたしと二、三歳しか違わない者もいた。彼らは死が銃剣と手榴弾を握りしめて走ってくるのを見て、その死を眼前で食い止めるために戦ったのである。

死体を解剖しながら考えたことも興味深い。

 一九四九年には、解剖室の死体はほとんどが次世代の医学生のために献体に同意した医師たちのものだった。この献身的行為は死せる医師たちの高潔な意志のたまものだった。彼らは自分たちの身体が最後には骨と軟骨の塊になって焼却炉に放り込まれるのをよくわかっていたのだから。学期の最終日、実験助手主任を探していて、解剖室の先の準備室に入りこんでしまったことがある。大きなテーブルには、金属の大皿が一ダースばかり並び、それぞれにタグがつけられた医師たちの遺骸がのっていた。わたしも相伴にあずかった神秘の晩餐会だった。ある意味では彼らは死を超越したのだ、とわたしはそのときに感じたし、今も感じている。遺体を解剖する生徒たちの指のあいだで、ほんの短い時間であっても、そのアイデンティティが最後の吐息をつく。

バラードの作品は世界の破滅、絶望を書いているものが多いが、絶望を書きながらもその底にあるのは「人間の想像力と意志は自分自身の消滅をも超克できるのだ」という強い肯定であり、それらは思想と一緒に文章にも表れているのではないか。その表現手段として選んだのが、SFだった。

SFを選んだことがこうをそうしたのか、バラードの作品はその後初めて雑誌に掲載されることになる。バラード程の作家であっても自身に適した表現手段を見つけるまでは短編すら載せることができなかったという事実は、いかに表現手段が重要なのかと言う一つの例のようにも思える。

体験している時には、なんてことのない日常でも、後から振り返ってみればかけがえのない日々だったことがわかる──、本書に一貫しているある種の感動はこのような過去の回想であり、それはひょっとしたらただの美化なのかもしれないけれど、死を前にしてなお「いい人生だった」と人に自慢するように語れる人生こそ、僕が目標にする「幸福な一生」なのではないかと、本書を読んでいて考えた。

彼にとっての「人生の奇跡」とはなんだったのか──は本書を読んで確かめてください。ほんとはここが一番良かったところなので、色々思った処を書いておきたかったのだけど、おいしいところは残しておこうと思って…!

人生の奇跡 J・G・バラード自伝 (キイ・ライブラリー)

人生の奇跡 J・G・バラード自伝 (キイ・ライブラリー)