基本読書

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災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか

地震、洪水、台風、テロ、多くの人を巻きこむ災害がおこった時に人がどのような行動をとるのかについては『生き残る判断 生き残れない行動』が詳しいですが、簡単にまとめてしまうと災害が起こった直後の人間はとても落ち着き、親切になり、余裕を持って行動し、次第に自分の置かれた状況を思考し、理解するようになり、最後に英雄的行動を起こしたり、パニックを引き起こしたりします。

それでは「その後」はどうなのか。大地震が起こった後、住む場所もなく日々通っていたコミュニティが崩壊した人々はどうなるのか。本書『災害ユートピア』では、常に災害後には「ユートピア」が出現するのだとしています。人々は嬉々として無償の手助けを行い、生き埋めになっている人を助け、食事を与え、見ず知らずの人達と平然と会話を交わし、特別な共同体が出来上がる──。

という話を延々としていくわけです。様々な災害を取り上げ、インタビューの内容を書いていくわけですが、結局のところみんなが言うのは「その時人は相互扶助に目覚め、利他的な行動を行う集団になった」と要約できるもので、まったく同じような内容を延々と読まされるので結構苦痛でしたが、しかしその内容は興味深い。

映画などで多く描かれる災害に直面した市民達の反応といえば、パニックに陥り盗みやレイプが横行する地獄絵図のようなものです。しかし実際は違っており、多くの人たちはお互いがお互いを最大限助け合おうとするコミュニティを作り上げる。むしろ問題なのは「市民は暴徒化する」と信じる災害外にいて政策を実行するエリートたちだ、と本書はいいます。市民を暴徒だと信じて疑わない者たちの介入は、多くの敵ではない市民を敵として捉え、余計な被害を生みだすことが多くみられるからです。

同時に政府側にとって厄介なのが、「災害はすべてをリセットする」という点。今までの社会が、経済が、そして何より「政府に頼らないコミュニティ」が新しく生まれてしまう。それは社会や政府の中に救っていた対立や悪癖、欠陥を浮き彫りにします。本書の主張はこの「災害ユートピア共同体」を災害が終わった後も持続させられるのだ、なのかなと思いながら読んでいました。

もちろん誰もが相互扶助の精神に目覚め、知人友人の区別なく人と人が談笑出来るような状況は一時的に身分の差が無くなり、大きな共有体験を得たことによる災害時特有のもので長続きはしないと考えられますが、しかし一度死と直面し大きくその精神を揺さぶられ、自由を感じ、「政府がなくてもやっていける」と確信を得た人たちは、その後エネルギーを得て、自発的な対話、コミュニティの創設などを成し遂げる。

創造と破壊は常にセットとして語られてきた印象がありますが、それは災害時でも同じ名様です。考えてみれば社会のリセットとして、革命などを抜きにすれば災害はひとつの手段という言い方はおかしいかもしれないけど、原因のひとつとして非常に大きな物でしょう。本書の政治的主張は政府は最低限必要な機能を残し、あとは「市民社会」で対処すべしてな感じだと読めますけど、市民が対話コミュニティを作り上げるキッカケとしての災害という視点が、結構おもしろかったです。

僕には政府に極力頼らない市民社会以前に、災害時に立ちあがる特別な相互扶助を前提とした共同体さえもユートピアだとは感じられないので、ちょっと微妙でしたけどお話自体はおもしろかったということで。