基本読書

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論理病をなおす!―処方箋としての詭弁

つい最近同じ香西秀信さんの『議論術速成法』を読んだらえらく面白かったので続けてこちらも。『議論術速成法』は要するに「速成法とはつまり、具体例から自分にあったものを「盗め」」ということでした。で、この『論理病をなおす!』は「詭弁」を扱った一冊。恐らく議論術速成法と同じような経緯で、詭弁の具体例が幅広く収録されています。つまりはここから詭弁を「盗め」ということでしょう。

個人的に良かったのが、この本を読んでから色々と文章を読むと、「あ、これ詭弁だ!」「これも詭弁だ!」「これはほとんど何も言ってないじゃん!」っていちいち人の文章にツッコミを入れられるようになったことですよ(嫌な奴だな)。本書では詭弁の効用の一つとして、「詭弁に騙されない」だけではなく「詭弁を使った相手を、むしろ詭弁使ったなこのヤロー!! といってむしろ攻撃する武器にすることができる」といっていて著者も凄く嫌な奴だなと思いました。

話は微妙に変わりますけど、特に論を組み立てる時には、文章には大別して攻撃力と防御力のような概念に分けられると思うのですよね。防御力とはつまり、議論において相手の反論を予測していかにその反論を避けられるような文の組み立て方をするかであり、文章とは反対に相手の防御をいかにして崩すか、というような感じで考えてます。防御力を最大限増そうとすれば「かもしれない」とか言えば完璧ですけど、でも反対に攻撃力は失うのでたぶん綱引きみたいになってるでしょう。

で、詭弁ってのは議論する上での一つの技術なんですよね。人間の思考の隙をついた、相手をトリックにハメ込む議論の技術。『詭弁に騙される人は、単に馬鹿だから騙されるのではなく、人間の思考がそのようなものを受け入れてしまう癖を持っているから騙されるのである*1たとえば性急な一般化と呼ばれる詭弁が最も有名だと思いますけど、どのようなものかといえば「高校生を見かけたらタバコを吸っていた。最近の若者は素行が悪い」なんていうのは、「一部の人間の行動をまるで全体のことのように決めつける」タイプの詭弁です。

あるいはもうひとつ多く使われるのが、人に訴える議論というやつで、たとえば「石原慎太郎は過去にはわいせつな小説を書いていたくせに今は規制を推進している」や「あいつはえらそうなこと言うけど家では母ちゃんにパンツ洗ってもらっている」のような、「議論の妥当性ではなく人間の人格を否定しようとする詭弁」のことを言います。これもよくありますよねえ。

ただこういった詭弁が真に問題なのは、全てが詭弁なわけではないところです。何らかの論というのは絶対にそれを発した人間と切っても切り離せません。僕が偉そうな上から目線の文芸批評をしたところで多くの人ははぁー?と思うでしょうがたとえば村上春樹が同じことを言えば聴く人の態度も受け入れ方もまったく違うはずです。

これは要するに『人と論とが内容的に関係すると考えられるときにのみ、人を内容の評価に参加させている。*2わけです。高度に発達した詭弁は真実と区別がつかないとでも言いましょうか、人と論を混同させるのは時としては正しいとも言えるのです。ここで重要なのは「詭弁っぽく見えるものは時として詭弁ではないから騙される」ことがあることです。

ここまで書けばもう書きすぎなぐらいなので結論部分まで書くのはやめておきますが、真に重要なのは詭弁の具体例を学ぶことで詭弁に強くなり思考の癖を学び詭弁に騙されず議論に強くなることです。とかまあ正直どうでもいいんですけどおもしろかったです(おい)

序章 馬鹿だから詭弁に騙されるのではない
第1章 詭弁なしではいられない
第2章 曖昧さには罠がいっぱい―多義あるいは曖昧の詭弁
第3章 弱い敵を作り出す―藁人形攻撃
第4章 論より人が気に喰わない―人に訴える議論
第5章 一を教えて十を誤らせる―性急な一般化
あとがきにかえて―語学の達人に学べるか?

論理病をなおす!―処方箋としての詭弁 (ちくま新書)

論理病をなおす!―処方箋としての詭弁 (ちくま新書)

議論術速成法―新しいトピカ (ちくま新書)

議論術速成法―新しいトピカ (ちくま新書)

*1:p.020

*2:p.143