基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

キャラクターとは何か

奇遇なことにこの本、ぴったし一年前の一月十日に出た本のようだ。ま、それだけなんだけどちょっと時間が揃うと嬉しいですね。タイトルから、言わずもがなのキャラクター論。今までのキャラクター論は文化もしくはビジネスの片面からしか語られてこなかったけれど、本来キャラクター論は、ビジネスと文化に分けられるものではなく文化としてもビジネスとしても語ろうと言う一冊。

そもそもキャラクター論? 何それ? というぐらいの知識しかないのでこの本が新しいのかどうかよくわからないのだけれども、文化とビジネスをごちゃごちゃに書いているせいか雑然としていてまとまりがないように感じる。一章はキャラクタービジネスの近代史ということで、サブカルチャー周りにどっぷり漬かってきた人間にとっては当たり前の話が続く。

要するに、パンにポケモンの絵が貼ってあればなんとなく買っちゃうよね、とか遊戯王は元が漫画だったのにいつのまにかカードゲームとしてのキャラクターコンテンツが分離して一人歩きしだしたよね、とか。スヌーピーやキティちゃんは明確な原作(コンテンツ)がないのにキャラクターとしての記号だけがビジネスに転用されている例だよ、とかいうことを時代順に語っていく。

「第二章キャラクタービジネスという問題」では主に国際化を迫られる日本のコンテンツに対する国策と、それに対する国内の作り手の意識の乖離が語られる。国主導で行われる「国立メディア芸術統合センター」などが国際化への一歩だが、大塚英志などは「放っといておいてくれ」としか言わない。

しかしそもそもなぜそのような政策を取らなければならないのかと言うと、国際的な(というかアメリカの?)市場開放への欲求がまずあるからであって、要するに突然内発的にそんなものを作ろうとしたわけではなく外圧によって在る程度は仕方なく国策によってコンテンツを国際化しようとしているのだという。

そういう意味じゃあ最近の表現規制も対外的な側面が強いのかもしれない。わからんけど。アメリカなんかだと、BL本を娘が買ってきたからと言って書店を告訴する事例もあるらしいし、その辺あまり堂々と外に出せるもんでもないのかもね。特に国内のコンテンツ製作者は国内市場が大きいため海外への視点がほとんどないことも問題として挙げられている。

「第三章 キャラクターの起源と構造」ではキャラクターの語源やらはじめて〜の〜キャラクターはどれかとかキャラクターの構造はそもそもなんやねんとかの話。個人的には一番ここが面白かった。色々はしょって「キャラクターとは何か」って話だけしてしまうと、それは三つの要素で出来ている。一つは意味で、一つは絵で、一つは内面。

意味はキャラクターの属性や類型らしくて、絵は言うまでもなくキャラクターデザインで、内面はキャラクタの心情・性格などなど、精神的な部分だと思われる。代表例として挙げられているのは意味ではアンクル・サム(アメリカを擬人化した、アメリカの象徴キャラクタ)が、絵では初音ミクが(元はただの絵でしかなかった)、内面では矢吹丈が挙げられている。

これらは当然入り混じっていくわけだけれども、「与えられた子有名とキャラクターを構成する三要素のうち、どれかひとつでも要素として担保されていれば、じつは「キャラクター」の持つ残りの要素は追加したり置き換えたりすることが可能なのである*1

なるほどーって読んでて感心した。初音ミクさんの例とかはまさに一つの要素だけで生まれて、後から勝手に設定が付け足されて発展して言った形でしょう。しかも明確な設定が語られている訳ではなく、かなり自由度が高く解釈され、派生できる。

全ての要素が揃っていなくてもキャラクターが成立するっていう考え方が、面白かったんですよね。第四章は日本のキャラクタービジネスを主に同人誌の分野から海外と比較して(この海外との比較が今まであんまりなかったよね)語ったところだけど個人的には興味が無いのでパス。

そんな感じで。

キャラクターとは何か (ちくま新書)

キャラクターとは何か (ちくま新書)

*1:p.122