基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

「悪」と戦う

とても面白いと思った。高橋源一郎先生とはこういう話を書くのか。三年ぐらい前に『ジョン・レノン対火星人』をタイトルだけみて「なんじゃこりゃ」と思って読み始め、結局「なんじゃこりゃ、だけど凄いな」という感想を持ったのを自分のブログを読んで思い出した。本書に対して思うのもやっぱり「なんじゃこりゃ、だけど凄いな」に近い。

読みながら、きっと高橋源一郎は自分の子どもに向けて「人生で大切なことを」学んでくれたらと思いながら書いたんだろうな、と思った。1ページに当てられている文字数はかなり少なくて、読みやすく、作中に出てくる一家の家族構成、お父さんの作家という職業など、全てが当てはまる。ただまったく同じではなく、「パラレルワールド」という言い方がしっくりくる。

お母さんがいて、お父さんがいて、ランちゃんとキイちゃんという二人の子どもがいる。でもキイちゃんは言葉の発達が遅く、だっだっとしか言えないが、ランちゃんだけはその言葉が何を表しているのかがわかる。そしてある日作家のお父さんはミアちゃんという顔のパーツはすべて完ぺきなのに、配置だけがおかしい女の子と出会い、そこから物語はわけのわからないところへと進んでいく。

少しだけわけのわからないところを書くと、三歳児だったランちゃんは誰もいない象徴の世界のようなところに突然飛ばされ十三歳の思考力を手に入れており突如その世界に現れているマホちゃんという女の子に「セカイがヤバイ」と告げられてキイちゃんはまさに「世界の鍵」であり世界を壊そうとする「悪」に囚われていてランちゃんがなんとかしなければならないのだ。

そしてランちゃんは『悪』と戦いに行く。無茶苦茶だが、なぜか読み進めてしまう。面白かったのが、これから『悪』と戦いにいくランちゃんが、戦いに行く前にゴミの集積所にいってゴミの分別をし始めるところだったりする。マンションの人たちがいつもゴミを分別せず、管理人さんとランちゃんのお母さんはいつもそのゴミを分別している。その管理人もお母さんもいないから、ランちゃんはゴミを分別する。

こういうところが、子どもに教えようとしているのかなあと感じるところで。たしかにゴミの分別は大切である。常に大切かどうかはわからないけれど、ゴミの分別ほど地道ないいことというのもそうそうはない。ゴミがばらっばらのまま焼却場に放り込まれたら、破裂して誰かが危険な目にあうかもしれない。

ランちゃんが「悪」と戦う為に必要なのは、こうした「地道な正しい作業」の積み重ねなのだ。今後も、夢の形式をかりて様々な難題がランちゃんに降り注ぎ、その都度選択を迫られていく。そして最後に迫られるのは、「悪」を「倒すか否か」という問題だ。最終的な結末だけみるとこれはシンプルな、夢想にすぎない善悪二元論を突破する解答のように見える。

ただ「パラレルワールド」という要素を付け加えて読むと、夢想なのはそうかもしれないが、シンプルだけれどもしっかりとした、味わい深いラストになる、と僕には思える。この今ある世界は、無数の「起こらなかった可能性」に支えられて存在しているのだ、そのことが話に深くかかわってきて、非常に読みやすく短い小説なのだが、やけに重厚さを感じさせる内容になっている。結構オススメ。

「悪」と戦う

「悪」と戦う