基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ライトジーンの遺産

体内の臓器崩壊現象が頻発する未来社会。かつて人工臓器市場を独占していた巨大メーカー・ライトジーン社なき今、臓器をめぐる奇怪な現象や犯罪が続発していた。都会の片隅で自由に暮らし、本とウィスキーを愛する菊月虹は、ライトジーン社が遺した人造人間。虹は市警の新米刑事・タイスと共に臓器犯罪を次々と解決するが、やがて虹と彼の兄・MJの出生の秘密に関わる陰謀が彼を襲う。傑作ハードボイルドSFの決定版!(カバー裏より)

久々神林。いやあ素晴らしい。とっても面白かったです。連作短編形式で、主人公であり人の心を読んだり干渉したり操作することのできる能力者菊月虹が、色々な事件を解決していく。この主人公がまたかっこよくてねえ。こいつが、ちびちびと、うまいウィスキーをいつも飲むのですよ。それと本を読むのが本当の楽しみだよってずっと言っているもんで、僕も無性にウィスキーを飲みたくなってちびちびと飲んだりしていました。

面白いのが本書はどうも「ハードボイルドSF」らしいんですよね。こんなのわざわざあらすじに書かれなければ、この作品を「ハードボイルド」だとはなかなか気が付かないぐらい異色なのですが、考えてみればこれは確かにハードボイルドかもなと思わなくもないんですよ。ハードボイルドって、僕の勝手なイメージですけど「中年オヤジ」「アル中」「アウトサイダー」みたいな感じがある。

で、それらの要素で何が表現されているのかというと、これは僕の勝手な思い込みですが、「ボロ雑巾のようになった過去の精神性や物の見方を、現代の価値観に照らし合わせる、生き残らせる」ことなのかなって思うんですよ。「昔は良かった」なんていう言質に「そんなことはない」とはよく言いますし、まったくそのとおりですけど正しくは「たしかに昔は良かった部分もあるにはある」だと思うんですよ。

その「あるにはあった良かった部分」を現代になんとかして持ちこもうとすると、中年でアウトサイダーで少数派な親父、みたいなことになるのかなと。そこにきてこの菊月虹とくれば、暴力ごとは大嫌いだし、無気力で「毎日仕事なんか美味しいウィスキーと本が読める小額だけあればいい。自由に生きたい」ってな自由人なんですよね。

ある意味では「仕事なんてしないで、毎日誰にも気兼ねせずに自由に暮らしたい」という考え方が、いつかすたれきった未来の話だからこそ、これが「ハードボイルドSF」として機能しているのかなとか、考えるわけです。

あと心が読める能力を持っているのに、それをまったく苦にしないし、受け入れ、受け流しているところが良かったです。そのあたりの事が「本を読む」という主人公の趣味に反映されていると思う。要するに、「人の心が読める」ことと「本を読む」ことは非常に似通っているんですね。本を読むことで、世界にはさまざまな世界の見方があるのだと知る。心を読むことも、同じだと。しかも心を読むといっても、それが本当に真実なのかどうかなんて、わからないわけです。

たとえば、こんな部分があります。主人公がその能力を奪われ、ピンチに陥っている時の独白です。

 楽しいことを考えよう。よく眠れるのは、いいことだ、と思う。他にも、サイファの力があったときにはできなかったことがなにかあるはずだ。たとえば、そうだな、嫌いな相手を、ただ憎たらしいという思いだけで殴り倒すこととか。いままでは、そんな相手でもその心を無意識に感じ取っていて、そういう人間にもおれを憎ませる権利があるのだ、などと思って、自分の感情のままに動けないこともあったが、いまはそうではない。相手の心など知ったことか。憎いやつはぶちのめせばいいのだ。こいつはいい。実によいぞ、とおれは笑った。おれは、もっと馬鹿になれるのだ。

僕はたぶん、恐らく、小説を結構な数読みだしてから「人に怒る」ということがほとんどなくなったと思います。「人の行動にいらいらする」ことすら、ほとんどない。それはどんな状況でも失敗することが当然あり得ると思っているからだし、それ以上になんとなく相手の気持ちがわかってしまうんですよね。そうすると大抵「まあしょうがないな」と思ってしまう。凄く嫌な奴がいても、どちらかというと凄く嫌な奴になってしまうに至るまでの過程に同情してしまうことが多い。結局のところそんなのは、こっちの想像で勝手に同情しているだけで、自分で自分の解釈、物語に納得しているだけなんですけどね。

あとねえ(ほんとに僕は神林長平について書きだすと止まらない)この文章っていうのは本当に読んでいて気持ちが良い。引用した部分だけでもわかると思うですけど、かなり細かく区切るんですよ。読点の数が、他の作家と比べて異常に多い。リズミカルに、タッタッタッタと文章が区切れて、繋がっていく。たしか神林先生の最初の短編は音楽をテーマにした短編だったんじゃないかなあ。それとも胃が自由意思を持って身体から逃げていくやつだったかな? こんな文章も本書には出てきますし。

 まあ、読書の楽しみというのも、譜面を演奏することに似ているのかもしれない。情報を得るためだけなら、本など読む必要はない。

本の利点とは、各人それぞれに読んだ時の解釈が広がりやすい点にある。譜面をどのように演奏するのかが演者に任せられているように、そこにある文字をどのように読み出すのかは読者の勝手だ。僕もいろいろと読みださせてもらった。

ライトジーンの遺産 (ハヤカワ文庫JA)

ライトジーンの遺産 (ハヤカワ文庫JA)