内田樹先生のマンガについて語ったブログ記事を抜き出して再構成した一冊。ブログ本でほとんど全部読んだことがあるとはいえやはり、こうして一連の流れの中で色々と読めるのは面白い。たぶん結構直しているしね。内容はブログ本だからばらばらで特に語るつもりもなく、今回は適当に思ったことについて書きたいと思います。
僕が内田先生の本をこれだけ読み続けているのは、内容もさることながらその「書く姿勢」のようなものを、「自分自身の未来のロールモデル」にしたいという考えがあってのことなのではないか、と読んでいて考えていた。内田先生というのは読むよりも圧倒的に書く人であって、暇な時間があればとにかく書いて書いて、それをどこかに発表する、そういう人なのである。
僕はそういう風に「とにかく書きまくる」ことができる状態にあこがれる。之は何も「依頼がある」とかそういう話ではなく、「楽しんで書きまくることができている」内田先生の状況にあこがれているのである。これは先生もたびたび書いていることであるけれど、先生はそれはもう楽しそうに文章を書く。そうでなくてはこれだけたくさんの文章を生産できないだろうし、暇がないにも関わらず無償で、それも頻繁にブログに書き続けることなどとてもできはしないだろう。明らかに楽しんで書いている。なぜそれだけ楽しんで書けるのか。といえば、たぶん「何が書き上がるかまったくわからない」からではなか。
少し前に別のブログで「僕はとにかく書きたいのだが、書く題材がなくて困っている」というようなことを書いた。要するに「書きたい」だけならば「あああああああ」とだけ書いていればいいのだが、それでは満足できない。その日あったことを書けばよさそうだが、そんなものを書きたくはない。なぜなら、それが面白くないからである。なぜかなあと思っていたらこれが簡単な話で、僕が書くのが好きでしょうがないのは書くことによって初めて自分が何を考えているのかわかる、自分がそういうタイプなんだな、ということである。
「考える」方法にも人それぞれ、色々なタイプがあると思うのだが僕の場合は「とにかく書く」ことに尽きるようだ。そしてそうである以上、書くことは「自分がよくわかっていないこと」に設定しなければならない。「結論がわかりきっているもの」を書いたってしょうがないのだから。内田先生が繰り返し語っている書き方は、そのような「その場で思いついたことを書く」である。そして内田先生がいいなぁと僕が思うのは、「好きなだけ書ける立ち位置」に自分をポジショニングしていることにある。
この『街場のマンガ論』を読んで思ったのは何よりも「節操無く自分のジャンル外のことに首をツッコムなぁ……」というような内田先生への呆れのようなもので、一方でさっき設定したような「面白く書く方法」である「自分がよくわかっていないことについて書く」を実践すると、どうしても「自分のジャンル以外のことについて首をツッコム」必要があるのだ。
僕がうまいなぁと思うのは内田先生の「ジャンル外の事に首をツッコミながらそれなりの事を言う」能力である。これは僕も内田先生をロールモデルにするならばぜひとも修得したい能力である。世の中には自分のジャンル外のことについて無節操に首をツッコミ、馬鹿を垂れ流している人が大勢いる。良く知らないことについて語ろうとするのだから当然である。
じゃあどうすればいいのか、となったときに内田先生を見ればよい。第一に間違っていたらすぐ謝り、第二に何でもいいから、まったく関係なさそうに見えても「自分の得意な話題に巻き込む」のである。関係がなければつくればよい。意外となんとか繋がるものであるのは内田先生の技術のたまものかもしれないが。(なんか唐突なようだが今のところこれ以上書くことがおもいつかないのでこれで終わり)
ボーイズラブはいつ、なぜ生まれたのか? というのが担当編集者からの問いかけでした。お昼ご飯を食べている席でいきなり訊かれたので、僕も進退窮まったのですが、困った時はすべてンチ米関係にひっかけて説明するのが僕の奥の手ですので、間髪を入れずに、「これは反米ナショナリズムの現れである」とお答えしました。

- 作者: 内田樹,川口あい
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