基本読書

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カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男

AK47と聞いていったいどれぐらいの割合の日本人がそれを自動小銃だと知っているのかはわかりませんが、「有名」なことは確かだと思う。僕はと言えば戦争物の小説もよく読むし、自伝も読むし、一時期FPSゲームにハマっていた時は命中精度には少し難があるけれど頼もしい相棒として日々敵兵を撃ち殺したりしていたので、この銃がいったどのような人によって、どのような思想によってつくられたのかについて、かなりの興味を持って本書を読みました。

それまでの銃と比べてAK47が画期的だったのは、その優れた耐久性でした。部品と部品をぴったりくっつけて機能させる銃とは違い、部品と部品の間に隙間をつくって配置させる方法のおかげで、泥や砂、水といった「通常使われることを想定すれば入らざるを得ないもの」から守られていました。

どんな状況でも粘り強く作動するAK47は兵士の命を守る味方だったでしょう。同時に兵士の命を奪う道具にもなったわけですが。武器というのは常に二面性を持っているものです。人を殺すものと、人を守るもの。この事について偉大な銃をつくったカラシニコフは、「結構悩んでいるんじゃないかな〜〜」と思いながら読んでいたんですよね。

アインシュタインファインマンノーベルが、自分のつくった発明が結果として多くの人を苦しめてしまったことについて悩んでいるように、世界中にAK47が広まり人を殺傷し続けているという事実に、カラシニコフもまた責任を感じているのではないかと。だからカラシニコフの答えはちょっと意外でした。

自分の仕事、特に自分の発明品が人々の解放に使われたと耳にすると大きな誇りを感じる。反対にそれが他者を抑圧することに使われた場合には、当然のことながら心が張り裂ける思いだ。私の銃はしばしば誤った使い方をされているが、それに対しては責任を感じていない。というのも、自分の銃の設計に関すること以外に私が決定権を持ったことなど一度もなかったからだ。だから、世界の今の状況を自分の責任だと感じたことはまったくない。そもそも政治的な問題に関与したことなどないのだから。

このカラシニコフ氏の自伝を読んでいて僕が強く感じるのは、「運命」なんですよね。子ども時代は貧乏な農民であり、理不尽な国の政策によって流刑地に送りこまれながら、「銃への興味」が沸き上がってくる。拳銃がどんな風にできているのか、どのような仕組みで動くのか、そういったことをどうしても知りたかったという。

そして銃にのめり込みつつ、兵役が課され、派遣された戦場で手ひどい傷を負う。長期の療養中に「なぜ我らがロシア軍ンは、あんな形で潰走したのだろう? 軽くて性能のよい自動小銃、私たちがあれほど必要としていた銃は、いったいどこにあるのだ?」と考えていたという。元々持っていた銃への驚異的な好奇心と、そしてその好奇心が生かされなければならなかった状況の要請もあってカラシニコフ自動小銃の作成にのめり込んでいく。あまりにも必然的であり、運命的であると思う。

ただどうもねー、読んでいると怖かったりもするんですよ。そのある意味では宗教的な盲信の仕方が。僕にとっては、この本は「何かを達成する為のたった一つの冴えたやり方」でもあると思うし、一方で「どうにもならない運命のようなもの」があるんだなあと思うし、何より「ひとりの偉大な男が過去を振り返ったときにぶり返してきた恐怖」を感じる一冊でした。よくわかんないけど。

私は人生のすべてをAKの設計とその改良に捧げてきた。何かをしようとするならば、徹底的にやらなければならない。遊び半分の片手間仕事では、決して良いものはできない。プーシキンの詩をもじって、こんな一節を書いたことがある。「懸命に働いたことによって、私は自分に記念碑を建てた。そしてつねに、兵士たちがそこに通じる道を進んでいく」。そう、私は兵士たちが私に感謝し続けてくれるだろうと心から信じている。

カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 (朝日新書 106)

カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 (朝日新書 106)