不思議な小説だった。読む前の想像は特になく、「まあ宇宙飛行士にあこがれて、苦難を乗り越えて、なって、何事かを成し遂げるっていうストーリーでしょ」と思っていたがあっていたのは最初の「宇宙飛行士にあこがれる」という部分だけだった。
ソヴィエト時代の宇宙飛行士を書いている。もっといえば、あの時代特有の空気、流れみたいなのを切り取っているのかもしれない。僕はロシアの歴史には全然詳しくなくて、よくわからない。少年は宇宙飛行士に憧れ、同じく月に行きたいと願っている友人と一緒に宇宙飛行士になれそうな学校を受験しやすやすと合格するが──とここからが二転三転する恐ろしいストーリー展開へとつながっていく。
ソヴィエトの批判、というよりかはソヴィエトをそのまま書いたらこうなりましたよ、というのが著者の考え方かもしれない。
途中、ソヴィエトの英雄を呼び寄せて話を聞かせる講義の話が出てくる。そこに出てきた「英雄」の話は衝撃的だった。政府高官は日々森に入り動物を撃って狩りを楽しんでいたが、ある時事故で獲物に殺されてしまう。その時ソヴィエトの英雄(この時はまだ英雄ではなく、ただの森番で、猪や熊を射手の方に追い立てる役だった)に下された指令は、「お前が動物の毛皮をかぶって動物のフリをして撃たれろ」というような理不尽なものだった、ようだ。
ようだ、というのは決定的にこの命令の部分が言い落とされているからこういう書き方しかできないのである。この『宇宙飛行士オモン・ラー』においては、重要な事柄は決して言葉に出されない。描写されない。上記の命令が発せられたと思う瞬間も、『「イワン! 命令はでいない。いや、できたとしてもしないだろう。だが必要なんだ。よく考えてほしい。無理強いはしない」』と書かれているだけだ。
「命令」がなんなのかは書かれないのだ。本書の語り手が任務に就くときも、その任務がどのようなものなのか、どのようにして言い渡されたのか、まったく読者には明らかにされない。段々と会話の端々から意味が推察されるようになっていき、それがまた恐怖を煽る。
「なんなんだ? 何が起こっているんだ?」と読んでいると常に不安に思うが、単なる作劇上の技術なのか、はたまたソヴィエト時代の「空気(としか表現できない)」を再現、体感させようとしているのかはよくわからないが、ひとつ言えることは「書かれないことによって強く意識してしまう」ことは確かにあるということだ。
凄いのが、描写の細部にこだわっているところ。小説における描写の細部(食事とか、風景とか、本編にあまり関係ないのではないか? と思ってしまうような主人公のクセとか)を有意義に書くのはとても難しいことだな、とこの本を読んでいて思った。書き過ぎれば邪魔に感じられるし、少なすぎても人物が無機質に感じられてしまう。
本書には『人間心理とはなんて奇妙なものだろう! それは何より細部を必要とする。』という文章が出てくるが、小説でも同じことだと思う。必要なのは無意味な細部ではなく、物語の一部としてちゃんと組み込まれている細部、だが。言うのは簡単だがやるのは難しいだろう。
とても不安定で、恐ろしい話だった(無理やり終わらせた)。
- 作者: ヴィクトルペレーヴィン,尾山慎二
- 出版社/メーカー: 群像社
- 発売日: 2010/06
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