なんとなく読んだ。昆虫についてざっくりと語る。四億年前に誕生した昆虫が現在まで繁栄を続けてきた理由、そして昆虫と人間の共存社会へと繋がっていく思想がメイン。中国四千年の歴史に敵う相手などいないとバキの世界では凄い持ちあげられ方をしている中国の歴史だが、その理屈でいくと虫の歴史は四億年だから中国よりも学ぶところは多い。
虫のシステムが面白いと思う。ヒトの脳の100万分の1しか持っていない低スペックで、生き残る為にそれはもう低スペックを生かしきった見事なプログラムが組まれているのだ。実際にアリやバッタの昆虫類を間近で見ると「キモッ」と思ってしまう僕だがその見事なシステムは美しいと思う。
たとえばアリ。アリは常に触角を使って地面にふれて歩いているが、なぜかえさ場までの最短ルートを大体において発見することが出来る。それはなぜかといえば、えさ場に辿り着くまでにフェロモンを、各アリが出しているからだ。短いルートを通るアリほど、往復回数が多くなり、その分フェロモンが濃くなり、アリ達はそのルートを選択し、よりフェロモンは濃くなる。
「フェロモンの濃いルートを選択する」という単純な命令なのに、成果としては最短ルートを見つける複雑な動きを達成できるのだから凄い。まるで一番初期の、低スペックでも何とか面白いゲームを作ろうとして生まれたマリオのようではないか。
虫の身体のデザインも非常に面白い。なんせ今まで生き残りをかけて身体の組成をさんざんに組み替えてきたものだから、非常に微妙なバランスの上に成り立っていて、それを知るのが面白いのだ。翅を持っている昆虫にそれは顕著である。翅を持っていれば移動が容易になる。木から木へ乗り移る際に、一端地面に降りて、また木に登って、などとやるよりかもはるかに木から木へ飛び移った方が安全だし時間も節約できる。
しかし飛翔するためのコストはかなりデカイ。たとえばアブラムシ類には翅のあるタイプとないタイプがいるが、翅の有る方は生殖腺が20%も減少するのだという。翅を持つことで生存率が上がるのかもしれないが、生殖成功率が下がってしまう。このトレードオフで「翅があった方が有利である」と判断した種だけが、現在も翅を残して生き延びているのだと考えると、虫の一匹一匹に歴史を感じてしまうではないか。
また、虫について勉強することで人間世界以外の世界が意外と広いこと、奥深いこと、そして全ては密接に関連し合っていることを実感する。どうでもいいような一つの類が消えてしまうことで、思いがけないところに影響が出てくる。
たとえばとある虫が絶滅してしまったら、その虫を食べていた動物もまた絶滅してしまうかもしれない。すると、その動物に何らかの恩恵をあずかっていた物もまた絶滅してしまうかもしれない。あるいは、最初に絶滅した虫が天敵であった虫がいれば、その虫は多いに栄えるかもしれない。結果、大いに栄えた虫を餌とする動物がいれば、今度はその動物が大繁殖するかもしれない。
と永遠と何かが連鎖し続けていくのだ。素敵だなあ面白いなあ。このような連鎖を引き起こすのは、人間が原因であることが最近問題になっている。たとえば単一の作物だけを育てるのは、その作物を餌にする昆虫を繁栄させ、その他の昆虫を絶滅させることに繋がる。繁栄した昆虫は人間に「害虫」と呼んで駆除されることになる。駆除されると天敵がいなくなってまた別の昆虫が──。
いやはや。本来「害虫」などという虫はいないのである。それは人間が勝手に言っているだけだ。単一の作物を育てようとするのが、すでに自然のシステムに逆らっている。ただ、あれだなと思った。「システム(環境)を書き変えることができる」のが人間の秀でた能力なんでしょうね。
そして「人間は環境を好き勝手に変えていい、王である」という考え方から「人間はシステムを好き勝手書き変えていいわけではないのだ」とここにきて原点に戻ってきているあたり、人間もまた地球環境のシステムから逃れられてないよなあとも思うわけですが。
本書ではドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』から引用して人間とは異なる虫のインテリジェンスについて語る場面がありますが、最後にここでも引用して終わりましょう。
「ひともとの草、一匹の甲虫、一匹のあり、こがね色したみつばち、すべて知性をもっていないこれらのものが、驚かるるばかりおのれの道を心得ていて、神の秘密を証明し、みずからその秘密をたゆみなく行っているではないか」*1

- 作者: 藤崎憲治
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