基本読書

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ツチヤ教授の哲学講義―哲学で何がわかるか?

本屋で何か適当に読みたい本を探していて、森博嗣の『イナイ×イナイ』か『キラレ×キラレ』を買おうかなと思っていたのだけど(表紙がめっちゃ好みで飾っておきたい本なのだ)、土屋先生の『ツチヤ教授の哲学講義―哲学で何がわかるか?』が文庫新刊のところに置いてあったので思わず手に取った。これ、何気なく読み始めたわけだけど凄く面白いのです。

哲学で何がわかるのか、ということを問題にして、誰かの哲学を解説していくのではなく、土屋先生自身の哲学を開陳していく。その議題とは、「哲学で何がわかって、何がわからないのか」なのだ。そして哲学とは哲学史を勉強することではない。そんなことは、哲学とは何の関係もない。『哲学は実験するわけでも、観察するわけでも、調査するわけでもない。自分で考えてみて納得するかどうかが哲学のすべてである。』

そして、土屋先生自身の哲学によって、プラトンからデカルト形而上学的問題は、間違っているときっぱりと否定するわけです。きっと詳しい人が読めば、反論は幾つも思い浮かぶのだろうけれど、僕が読んだ場合には、非常に土屋先生の考え方は筋が通っていると思いました。土屋先生の考え方というのは、簡単に書いてしまえば形而上学(この世に存在しない考え方のこと)は結局のところ、真理を追究しているのではなく、言葉の規則を問題にしているにすぎないということです。

たとえばベルクソンという人は「時間」を問い直すのです。僕達が時間と呼んでいるものは、本当は時間ではないのだと。「五分経った」といった時に僕達が目印にしているのは「針が五分間分動いた時計」やもしくは他の「時が測れるとされている目印」なのであって、「それは本当の時間ではない」、「本当の時間とは空間まで含めた物のなんやかやだ」と言っているわけです、うろ覚えで書いているけれど、たぶん。

「まあ、そうかもしれない」とは思うものの、「でもそれっておかしいでしょ」というのが土屋先生の立場でしょう。僕たちは時計の針が動いたり、他の時間を示す物がその時間を表すことを「時間」と呼んでいるのであって、「それはおかしい」と言ってもしょうがない。というかそれはただ言葉の使い方を問題にしているに過ぎないというのです。僕達が普段リンゴと呼んでいる物を「それは実はリンゴではないのだ、これこそがリンゴだ」と言っても、「ハァ?」としか思わないでしょう。時間を問い直すなんてことは、つまりはそれぐらいのことだと言っているのだと思う。

同じように「○○は何か」と一見深遠そうな問いを放って考えて、○○とはこういうことである、と言ってみたところで、言葉の規則を考え直しているだけで、それは真理などではないんですね。だって仮に「そうだ。時間は今までの定義ではおかしい」となって、定義が変わったとしても、結局言葉の使い方が変わるだけなんですから。だから、哲学で何が分かるのかという問いに対する答えは、そういう形而上学的な事を考えるところにはないのではないか、と土屋先生は言うわけです。

じゃあ哲学って無意味なの? という問いに対する答えを僕なりに勝手にまとめて書くと、哲学とは、言葉づかいを問い詰め続けて、答えられる問題なのか、これは意味のある問いなのか、はたまた無意味な問いなのか、といったことを考える学問なんだ、と言っているんだと思うんですよ。それだけ聞いていると「なんだ、じゃあ無意味なんだ」とも思うのだけれども……これに対する答えが素晴らしいので引用して終わりにします。なぜ哲学をするのか、哲学の研究成果は社会に還元できるのかっていう問いに対する凄く腑に落ちる回答。刺激的な一冊ですよ。

 ぼくの考えでは、哲学は役に立たないとも言い切れないと思うんですよ。哲学的問題が解けないと不幸になってしまうケースもあります。たとえば、「いかに生きるべきか」という問題はちゃんとした問題で、どこかに正解があるはずだと考えたままだと、「本当はどこかに正解があるのに自分は知らないんだ」と思い続けて一生を送らなければいけないことになりますよね。(中略)だから何らかの決着をつける必要があると思うんです。それからたとえば、「人生は無意味か」という問題も哲学の問題です。人生は無意味だと考えて生きるのとそうでないのとでは、生き方が違ってきますよね。だから人間の生き方にも関係があると思うんですね。
 でもそれよりも、哲学はものを知るというか、理解する営みです。われわれはいろんなことを知らないし、さまざまな誤解にすぐに陥ってしまうんですけれど、それに逆らってものを素人するのが人間です。役に立とうが役に立つまいが、ものを知りたいし、誤解から解放されたいと思いませんか? この点では、ぼくはプラトンと同じ考えです。何も知らないまま、誤解したまま、一生を終わりたくない、と思っているし、多くの人もそう考えるんじゃないかと思います。そういう気持ちに応えるのが哲学だと思います。*1

ツチヤ教授の哲学講義―哲学で何がわかるか? (文春文庫)

ツチヤ教授の哲学講義―哲学で何がわかるか? (文春文庫)

*1:p.332-333