短編小説の楽しみ方。
長編より短編小説の方が好きだ、という人はどれくらいいるんだろう。そんなに多くいるとは思えない。なぜかって出版される本の大半は長編で、短編集はそんなに出るもんじゃない。みんなが短編を読みたがっているならば、もっと出版されるだろう。
僕も短編より長編の方が好きだ。長い物語を読むことで、そこに書かれているキャラクターのことをよく知れるし、その周りの場所とか、文章とかにも愛着が湧いてくる。サスペンスだったらその分長くどきどきはらはらするし、恋愛小説だったら長い間どきどきするだろう(あんまり読んだことないけど)。
これが短編だと、キャラクタを把握したと思ったらお話は終わってしまい、強制的に幕を下ろされてしまう。短い分そこにはどきどきが少ないし、物語にひたることもできない。それにこんなこと言うのもなんだが、一回一回話にオチをつけ、キャラクタを考え、舞台を考えるのは製作する側にとっても困難だろう。
あんまりいいことがあるように思えない。というわけだが、しかし短編も結構良いものだな、とスティーヴン・キングの短編集を読みながら思った。その何よりよいところは、小さくまとまっているところだ。お風呂に入っている間にでも一篇読んで、なるほどと思える。それはなんというか、たとえば飴玉を口に放り込むようにして楽しめる。
満腹になるとは到底言えないけれど、飴玉には飴玉の良さがある。しかも色は多彩だ。甘いのもあれば、すっぱいのもある。ごく短時間で、著者の考えた奇想をほんの少し体験できるのはそんな感じ。短編の良いところはそういった、「いろんなものを楽しめる」ところにある。長時間ひとりの人間と話し込むような親密さはないけれど。
それから、なんといっても小さくまとまっていることは結構かっこいい。大きい物より小さい物の方がかっこいいことってよくあることだ。もっとよくあるのは、大きい物と小さい物の良さはまったく別のところにあるっていうことだが。僕はまだ短編小説の楽しみ方を、まだよく知らない。これから探していければいいと思う。