笠井潔氏著。もう15年も前のミステリィ。何年か前に初めてこのシリーズを読んだ時は、探偵役である矢吹駆のもったいぶった何を言っているのかさっぱりわからない話ぶりにどん引きして、読むのをやめたのですが今改めて読むと、これがなかなか面白かったです。まあ、どん引きなのは今もまったく変わらないんですが。
だって、初登場場面のインパクトとか凄いですからね。探偵役の旧来からの助手役、語り手の位置に立っているのはナディア・モガールというお嬢様っぽい女の子なのですが、彼女が出席している講義が初対面なのでした。教授が「先行する諸哲学を学ぶことの普遍的な意義は何か」という問いかけを放つと、矢吹駆は「普遍的な意義はない。なぜならば、ここにあるものは彼方にあるものであり、ここにないものはどこにもないのだから……」と応えるのです。
すごい! いみがわからない! すごくきもちわるい! このあともずっとこんな感じでずっときもちわるいなあきもちわるいなあと思いながら読んでいましたが、結構慣れるものです。あまり言葉数が、普段は多くないのが幸いしているのかもしれません。その生活は質素を旨とし、女の子にもまったく積極的な態度をとらないのにヒロインに好意を抱かれていたりして、なるほどなんだか凄く森博嗣の『S&Mシリーズ』を思い起こさせるなあ……という感じ。
特にヒロインがそっくりですね、この両作品は。お嬢様で、警視の娘で……そして、ミステリィを読むことが大好き。それから作品の方向性として、犯罪に対しての扱いも、著者は同じような感覚で捉えているのかな。矢吹駆は現象学で犯罪に対応しようというのです。現象学……正直、まったくわかりません。之は何なんでしょうね。よくわからないけど、現象を、あるがままに抽象的に受け止めることなのだと思います。
ミステリィにおける有名な考え方の一つに、首が切られていたら入れ替わりを疑え、というものがあります。しかしそのような一面的な解釈が、本来は無限の可能性を秘めているはずの事態(空から斧が降ってきて首がチョンパされて犬が持って行ったのかもしれない)を無視して、一つの融通が効かない固定観念に結び付けていく。
そのような考え方をやめ、犯罪事件があるならば犯罪事件全体として、首が切られていたと言う事実を考える。より抽象的な観点から物事を考えることだと言えるのかな。まあでも、抽象化っていうのはレベルをあげようとしていけばいくらでも上げられるもので、たとえば犯罪事件をレベルを上げて抽象化してみると社会的な意味まで加わってくる。
とかなんとか、そういうよくわからないミステリィ批評のようなものも、またこのシリーズの面白かったところです。笠井潔さんは批評家でもありますからね。批評を読んだことありますけど、何を言っているのか難しくてさっぱりわからない。小説で展開されている批評はかなりわかりやすいのだけど、親切に簡単な部分だけをやってくれているのでしょうか。
結構ハマったので、次々と読んでいきたい感じ。
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