基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

天冥の標Ⅳ: 機械じかけの子息たち

3日か4日前に読み終えてから、この本についてブログに書くとして、いったいどのようにして書けばいいのかをぼんやりと考えていたが、先程結論が出たのでこうやって書き始めている。つまりはそれは「○○ということだ」とひと言でまとめてしまうようなことはしないが。

この『天冥の標Ⅳ: 機械じかけの子息たち』はSF作家として有名な小川一水先生が、その総力を挙げて生み出し続けている「十巻のシリーズ物」のうちの、第四冊目となる。つまりシリーズ四冊目ということで、十巻の続き物として考えて観た場合そろそろ折り返し地点といえる。

しかし実際にはこのシリーズは壮大な物語が一から十まで番号がつけられていて、一から二へとお行儀よく進んでいく話ではない。仮にこの一から十を年代という一本の線で捉えたとした場合、一番最初のメニーメニーシープは2803年。二冊目の天冥の標が201X年。三冊目のアウレーリア統一が2310年。四冊目の本書が……えーと、あらすじに書いてないな……たしか、2400年か2300年代。

ばらばらなのは時代だけではない。一番最初のメニーメニーシープが、文化が発展し星へと散らばって言った様々な人種・生物・文化を書いた正当派的なSFだったとしたら、二冊目は現代を舞台に考えうる限り最悪のパンデミックが起こったらどうなるかを書いたパンデミック物であり、三作目はこってこてのスペースオペラだ。そして四作目が<性愛>をテーマにした一冊になった。

これ程の多様性を保ちながら、これらはシリーズとして繋がっている。ただ同じ世界の話、というだけの話ではない。それではただのシェアワールド物、ファンサービスと変わりが無い。凄いのは、これが、こういったばらばらのピースが、一つの大きな物語へと繋がっている点だ。たとえるなら、絵か。少しずつジグソーパズルが出来上がっていく感覚に似ている。

そして、その絵は凄まじく出来が良い。全体はみえない。ジグソーパズルで言えば、まだ半分も埋まっていない。でもそれだけ埋まっていれば、それがどれだけのクォリティで作られたものなのかがわかる。しかし言うまでも無く、ジグソーパズルはやり始めた時には全体はもう完成し、はめられるのを待つのみだが、このシリーズは「今まさに作られつつある」のだからたまらない。

本書では性愛がテーマにされる。特に包み隠さずに言えば、セックスだ。セックスは、一人ではできない。二人いないとできない。そして本書の主人公達は、至高のセックスと呼ばれる「マージ」を目指す。その為には、独りよがりではいけない。必ず、二人が共に快楽を追求したはてに、それはある。

読書も同じだ、と僕は思う。そこに書かれた文章が、どれだけ読者のことを思って書かれていたとしても、読み手側がそもそも非協力的な態度だったり、「こんなジャンルは嫌いだ」という先入観があっては、良い読書にはならない。小川一水は全力を尽くしこのシリーズを書き、良い読者はこれを、ある意味では追体験している。シリーズを待つという行為によって。

一緒に待ちましょう。

天冥の標?: 機械じかけの子息たち (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標?: 機械じかけの子息たち (ハヤカワ文庫JA)