基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

働かないアリに意義がある

「働きアリ」と名付けられていかにも働きそうなイメージのあるアリの中にも、実はまったく働かないアリがいる事は結構有名な事なのですでに知っていた。その理由も、全員がエサを求めに行くと短期的な効率は上昇するものの長期的な視野で見た時に、状況が変わった時の多様な対応をとることが出来なくなる為に生存率が低下してしまう為、いわば「非常時対応要員」として働かないアリがいるのだというところまで知っていた。

それで僕は非常に満足していて、このタイトルを見た時も「そんなこと知ってるよ」と思ってスルーを決め込んでいたのだが読んで良かった。まあ、こんなこと言うのもなんだけど、MF新書って新書の割に表紙がどれも違っていて、それはウリのひとつなのだろうけど凄く「内容が軽く」見えるんですよね。それはタイトルも同様、

でも読んでみると凄くちゃんとした中身で、知らない事がいっぱい書いてある(これは当然か)。そもそもまったく知りもしないのに「知ってる」と思い込んでいる自分を読み終えて恥ずかしくなりました。また生物的な知見だけでなく、学者としての心得、科学者としての在り方に対する考え方などといったことも書かれており、この部分もとても面白かったです。

さて、先程も書いたようにアリの中にも働かないアリがいるのは、予測不可能な日々に対処していく為、ということでした。アリの巣の中は雑菌だらけで、卵を欠かさずアリが舐めて綺麗にしていないとすぐに死んでしまうのですが、たとえばこれがもし何らかの不都合な事態があって卵舐め担当のアリが死んでしまった場合があると巣にとっては非常にヤバイことになるのです。

なぜなら子孫が一瞬でそれで全滅するわけで、そういった不測の事態にそなえて働かないアリが巣の中に控えています。で、それがどうやって「働くアリ」と「働かないアリ」に別れているのか、という問題が出てきます。本書ではそれは「反応閾値の違い」であるとしています。

ようするに、仕事が来た時に即座に反応する反応速度の速いアリと、あっ仕事がきたぞっと思っているうちにもう必要な数だけの働き手が出てしまっていてもうどうしようもあらへんていう反応速度の遅いアリがいるそうなのです。このような反応速度の違いが、よく働くアリと働かないアリを生み出します。

これを本書では「働かないアリではなく働きたいのに働けないアリなんだよ〜」というように言っていて、「なるほど」と思いました。

本書では効率性についても多くの事を述べています。アリが全員が真面目にめっちゃ働くと言う短期的な利益を棄てて、長期的に種として存続する道をとるように、人間もまた、今は一見無駄のように見える行為でも、いずれ役に立つかもしれないと言う「長期的な利益を目指した現在の無駄」をとるべきなのではないか、といった事を主に研究の視点に立って書いています。

 科学は、「他者もそうだと言わざるを得ない」客観的な方法で世界を記述し、その法則性を明らかにします。そのため、科学の法則のみが万人にとっての現実世界を操作することができ、それゆえに科学には他の分野に比べて破格の資本が投入されています。
 科学は役に立つから重要なのです。しかし絶対に、役に立つことだけをやればOKというわけではありません。狂牛病プリオンの例のように、「何が役に立つことなのか」は事前に予測不可能なのです。科学のなかに短期的な無駄を許さない、余力のない世界をつくってしまうとどうなるか? 賢いみなさんにはもうおわかりですね。

やはり、これを「今」読むと原発のことを考えないわけにはいきません。短期的な効率のみを追い求めた結果が、長期的にみたときには実は効率的ではないのではないか。正直それはよくわかりません。今回の原発に限って言えば、しっかりと津波に対する対策を行っていれば防げたかもしれないです(もちろん警告も行われていました)。

原発にはまったく詳しくないのでよくわかりませんから、原発が長期的にみてどのようなリスクがあるかわかりません。ただし今回の被害は、妥協を許さなければ回避できたかもしれない。そのあたりの兼ね合いは、やはりずっと考えていかなければいけないところでしょう。

追放するべきなのは「効率性」ではなく「短期的な視野だけで見た」効率性です。長期的な視野からみれば、一見まったく無駄であるようなことでも、役に立つことがあるかもしれない、いやむしろずっと長いスパンでみれば「何の役にも立たない事」なんて存在しないはずです。

僕達がこれから目指していくべきなのは、「大手をふるって無駄なことが出来る世界」なのだろうか、と思いながら読み終えました。面白かったです。

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)