基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

2100年、人口3分の1の日本

驚いた。2100年には日本の人口は4000万人になってしまう。

2100年はまだ遠い未来かもしれないが、2050年には人口が9千万人になってしまうと予測されている。こちらは近い分より正確な未来だろう。日本から約3000万人も人が減ってしまう計算になる。

面倒くさいことを考えなければ「らっきー! 満員電車がいまの3分のⅠもすかすかになるぜ〜♪♪」と躍り上がって喜びたいところだがそうも言ってられない。年寄りは山のようにいるのにそれを支える若者がいないと日本はぺちゃんこになってしまうという。恐ろしいことである。

たとえば人口一人当たりのGDPを維持すればいいと考えた場合、今と同じくらいの生活水準を人口が減少した後も保つために1時間あたりの労働時間から得られる生産高を年率0.5%の割合で50年間上昇させ続けなければならないとしている。

現在と同じGDPの総量を保とうとした場合は上昇率は1.2%となる。現在のこの労働生産性の上昇率は2007年から2009年までに限って言えばマイナス2.2%の成長なのでなんだかちょっと厳しそうだ。

人口が減っていくことを前提にして労働力を拡大する方法は、二つしかない。第1は、労働力率(生産年齢に達している人口のうち、労働力として経済活動に参加している者の比率)を向上させる。つまり労働に従事する人の数を増やすこと。第2は、国外から労働力を受け入れることである。

本書では第1について、高齢者の定義を引き上げることによって高齢者を積極的に生産人口の枠組みの中に入れて生産力を引き上げること。また女性労働力を積極的に稼働させることという二つの提言を行っている。

第2はまあいいや。人口が減るのだから今まで働いていなかった人たちに働いてもらわなければなるまいというのは至極当然の話だろう。ただ老人に働かせ女子に働かせその後「生産年齢人口をもっと年下まで下げよう!」ということに容易になっていくのではないかと思うといったい僕らは何のために働いてきたのかと気分が憂鬱になる。

何のために働いてきたのかと言えば答えはただ一つで「働かなくてもいい世界を創るため」ではなかったのか。「働く」の究極的な目標って、そこにあると思うんだけど。本書は主に人口が減少した社会でどのようにして現状の生活を維持していくかに焦点が当たっているが、別の道はないものだろうかと疑問に思う。

そもそも人間が大幅に減れば環境破壊は止まるし、人間が減る事によって地方の僻地からどんどん人が都市に集まっていって人間が1か所に集まればそれもさらに効率が良い。満員電車なんてクソったれな物もこの世から消えるし、そもそも日本人のクソったれな気質も土地が広くなれば少しマシになるのではないかと思う。良いことも結構あるじゃないか。

まあそれが簡単にいくなら、の話だが。しかし人口が減ることで困る問題の根本的なところって、若者が老人を支えなければいけない=だから若者と老人の構成比が変わると非常に困るってことなのではないかな。そう考えると、そもそもそんなシステム自体がクソったれだよな、と思う。何かいい方法はないものか。

本の話に戻ると、実際に2100年を目指してどのような事をしていけばいいのかといった提言は凄く具体的で分かりやすかった。しかも人口4000万人となった日本の近所づきあい、恋愛環境、労働環境はこうなる〜!といったモデルを示していて、「未来はこれこれこういう理由でこのような状況になるはずだ!」っていう発想はSF的な物だ。

2100年の世界が今よりもいい場所なのか悪い場所なのかはわからないが、少なくともそこに辿り着こうとしている人たちは「ユートピアにするぞ」と信じて活動していかなければならない。そして世界的に先駆けて人口減少が始まっている日本はその先陣なのだ。

今最も重要なテーマの一つは間違いなくこの「人口減少にどう対応するか」だろう。

2100年、人口3分の1の日本 (メディアファクトリー新書)

2100年、人口3分の1の日本 (メディアファクトリー新書)