西尾維新新刊
面白いですね。化物語で驚いて、傷物語偽物語と「ふーん」って感じになって、猫物語黒白で「すげえ!」と思って、「傾物語」「花物語」はハァ? って思って、この囮物語は「やっぱり西尾維新ってすっごい!」と思わせてくれました。
僕は西尾維新が好きで、ニンギョウがニンギョウ以外の全ての本を読んでいる程度にはファンですが、その理由は「毎回違うところに球を放ってくれる」ってことがあります。大砲に例えた方がわかりやすいかな、毎回飛距離が違うのです、お話の。
そんなの当たり前の話じゃんって思うかもしれないですけど、これって意識的に出来ている作家の人ってあんまりいないんじゃないかなあ。今まで築きあげてきた客層とは違うところに向けていく姿勢が僕は好きなのです。だってもう、この作品なんて初期の「化物語」とは似ても似つかないしね。
ずっとあの漫才を続けていく選択肢もあったはずだけど、周知の通りそっちには行かなかった。むしろ会話だけで成り立ってきたキャラクター、表面だけを見て理解してきたキャラクターの裏面を一人称で書くことで、まったく違った方向を向いた物語になっている。
わかりやすい萌えキャラだからといって中身までわかりやすいとは限らない。裏面に突入した瞬間に見えるギャップが最高に刺激的。
そう言う意味では八九寺と猿の人は、どちらもファーストシーズンでその内面は語られ終わってしまっている感がある一方で、内面をまったく見せなかった羽川さんと撫子さんのお話がセカンドシーズンでいちばん面白かったのは至極当然かもしれない(もちろん僕個人にとっての話だが)。
しかし「何を考えているのか表面だけではさっぱりわからない」キャラといえばこの『化物語』シリーズでの筆頭はいうまでもなく戦場ヶ原ひたぎでありよってもっとも期待値が高まるのは最終話である「ひたぎエンド」なわけで、こればっかりは読まずに死ねるか! って感じ。
いや、それにしても話は変わりますが「ウマイ」です。何がって、小説を書くのが。少なくとも僕はうまいと思う。もちろん芥川賞的なうまさとはまるでベクトルが違いますが。上手いと感じる部分は小説なのに映像がリアルに浮かび、それどころか「間」「カメラワーク」まで感じ取れるようなところです。
それが肩肘張らずに気楽に読めてすらすら入ってくる。たとえばスティーヴン・キングなんかは、もうカメラワークまでビシっと決まっている感じのスゲエ文章を書きますが、読んでいるとやっぱり肩肘張ってしまうんですよね。
絵は描けば描くほどうまくなると言いますが小説は、文章はどうでしょうか?(赤川次郎とかいるけどドウナンダロウ…)まあ仮にこの理論を適用すると、今もっとも文章を描いている小説家の一人は間違いなく「西尾維新」ですよね。うまくなっても不思議ではない、と言う気がする。
文章以外のところもとてもうまいと思います。でもそこもまだよくわかんないかな。そういえば西尾維新の小説で絵が浮かんだりカメラワークが浮かんだりするようになったのって、漫画の原作を始めてからのような気がするなあ。漫画を書き始めたおかげかもしれませんねえ。
締めると、本作はとても面白かったです。シリーズ物だけど、たぶんこの本からいきなり読んでもわかるように書かれているし、シリーズをまったく読んでいない人にも読んでもらいたいなあ。何にせよ西尾維新は凄い。日本の宝です(言い過ぎ?)
- 作者: 西尾維新,VOFAN
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/06/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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