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教養としてのゲーム史

「教養」の部分には頭の上にはてなまーくがぽんぽんと出てきてしまう感じで意味がよくわからなかったが「ゲーム史」の部分はかなり面白かった。ただ語り尽くせているとはとても思えないのでぜひ第二弾を! と思った。

たしかニコニコ動画なんかでもゲームハードを戦争に見立てて歴史を語っていく動画が人気になっていた記憶があるが、こちらのゲーム史が語ろうとしているのはソフトウェアorハードウェアといった両極端ではなく「ゲームの文脈における発送の進化」の道のりである。(太字部分引用文)

余談だがゲーム史が面白いのは「歴史が短いが故に要素が凝縮されている」というところがあるだろう。歴史が短い為に、多くの人がそこで語られることを「生の体験」として感じることができる。短くても歴史になってしまうのはゲームが凄い勢いで進化してきたからだろう。

世界で一番最初に大ヒットを飛ばしたゲームは40年ほど前の1972年である。センターラインに見立てた縦線をはさんで向かい合ったラケット二つがボールを打ち返す、ただそれだけのゲームだった。『ポン』から四年後の1976年にポンと同じ制作会社で作られた『ブレイクアウト』がまたまたゲームの進化を加速させた。

ブレイクアウトがどのようなゲームかというと、どうも読んでいる限りではブロック崩しのようなゲームらしい。ブロックにボールを当てて壊して行き、画面からすべて取り除くのがゲームの目的になる。

ブレイクアウトがポンより進化した点は大きく分けて二つある。一つは「他者性」でありもう一つは「環境が変化すること」である。ポンがその性質上必ず自分以外にもう一人人間を必要としたのと対照的に、ブレイクアウトは「一人でできる」環境を用意した。そしてブロック崩しをやったことがある人ならわかるだろうが、プレイするたびに壊されるブロックの位置、構成は変わり、プレイごとにまったく違ったステージが現れる。

かくてポンからブレイクアウトへと進化を遂げたことによって、ゲームは一人遊びが可能になった。ポンがコンピュータが人と人との間を取り持つ審判だとすれば、ブレイクアウトは人と対等に向き合う「他者」へと進化を遂げたのだ(このあたりのうまい比喩は本文からとっている)

と、こんなようにしてパックマンスーパーマリオブラザーズパックマンについて書かれたことで敵に性質が与えられ、「考え」が宿ったというのはなるほどと思った。またパックマンがパワーえさを食べることで今まで追いかけられていた敵を逆に食べることができるという「逆転」の発想によりひとつの枠組みに二つのゲームを入れたという話も面白かった)

ドラクエゼルダゼビウスと古いものばっかりかーと思いきや最後はギャルゲーを語りだしオチはラブプラスでまとめられている。ずいぶん遠くまできちまったもんだぜ、と感慨もひとしおだ。読んでいて思ったのはむかしのゲームほどハードの性能が制限されている為に「アイデア」が光っているということだ。

まあ、だからこそ本書で語られているゲームのほとんどが20世紀発になっている。そして「アイデア」というのは基本的に誰にでも真似ができるもんで、あっというまにコピーされて広がってしまう。結果的にゲームの進化は凄い勢いで加速してきた。

本書としてはゲームの進化はこれからもどんどん続いていく、という感じなんだろうがしかしどうなんだろう。スペックが高くなりどんなゲームでも作成が可能になった今、「アイデア」が最大限に尊ばれた時代は終わってしまったんじゃなかろうか(もちろんいつまでたってもアイデアは価値を持つが……)。

そして昔ほどアイデアが必要とされなくなった今、ゲームの進化がこの先も面白いように続いて行くかというとそんなことはないんじゃないか、と思ってしまう。ゲームはどうなっていくんだろうなあ……。
新刊『教養としてのゲーム史』発売されました - SIZUMA DRIVE@ハテナより

教養としてのゲーム史【目次】
はじめに  
第1章 固定画面の中で――ビデオゲームの誕生と連鎖するアイディア
ポン・クローンの感染爆発/『ブレイクアウト』から始まった「ひとり遊び」/『スペースインベーダー』の“敵”を出現させた「ハードとソフトの分離」/『ギャラクシアン』はゲーム機の教科書/「ハード」と「ソフト」が噛み合った『ギャラガ』/「カーレース」と「迷路」の橋渡しをした『ヘッドオン』/『平安京エイリアン』の“地形”が戦略を豊かにする/「女性向け」をねらった『パックマン』/モンスターの個性とパワーエサという発明/マリオがジャンプ!『ドンキーコング』という革命/「不自由」がゲームを豊かにする/マリオのジャンプは「キャズム」を超えた? /「タル面」はジャンプゲームの入門編/アスレチックとアクションパズルを統合した「ジャンプ」/実は大ヒット作?『マリオブラザーズ』/2ステップ方式の奥深さ/協力するか、それとも裏切るか? /「ゼロサム」と「非ゼロサム」のごった煮/『スマブラ』で失われた「裏切り」
 
第2章 スクロールが生み出す世界――『スクランブル』『ゼビウス』から『スーパーマリオブラザーズ』へ
固定画面からスクロール方式へ/『スクランブル』と「地形」の誕生/スクロールによって“広さ”を得た『ゼビウス』/ナスカの地上絵と隠れキャラが『ドラクエ』の元祖? /『ゼビウス』のストーリー性は都市伝説まで生んだ/スクロールが「世界観」定着のきっかけ/『スーパーマリオ』に先がけた『パックランド』/業務用ゲームと家庭用ゲームの違い/業務用ゲームと家庭用ゲームとの分岐点/『スーパーマリオ』の「狭さ」は「箱庭」に進化
第3章 RPGと想像力のデザイン――『ゼルダ』の完成度、『ドラゴンクエスト』の凄さ
「デジタルの冒険」の原点にあるTRPG/『D&D』から生まれた『ZORK』と『ウィザードリィ』/『ウルティマ』が業務用とパソコンゲームの壁に風穴を開けた/経験値→アイテムに変えた『ドルアーガの塔』の革命/メーカー参入の敷居を下げた『ハイドライド』/『ゼルダの伝説』はなぜ「アクションアドベンチャー」なのか/箱庭ゲームは「広げる」より「閉ざす」/縮み志向の箱庭ゲーム/「冒険」を「観光ツアー」にした『ドラクエ』/プレイヤーが迷わない「一本道」への転換/ストーリーを語り始めた『ドラクエ』/『ドラクエ』はRPG版少年ジャンプ? /「しんでしまうとはなにごとだ!」という優しさ/マルチウィンドウはマンガの吹きだし/コマンド選択式というチャレンジ/三つの想像力を“編集”した『ドラクエ』/ハードの制約と停滞が進歩を生むパラドックス
第4章 シミュレーションと欲望――『信長の野望』から『ラブプラス』まで
シミュレーションは現実をクソゲーにする?/国産SLGは「大人の武将ごっこ」から始まった/大人向けニーズが育てた『信長の野望』/「欲望」に重点が置かれる国内SLG/「シミュレーション」は複雑さ、「SLG」は単純さをめざす/競馬と競馬ファンの垣根を取り払った『ダビスタ』/SLGのモデルは「こうあって欲しい現実」/アニメ絵×育成SLG=『プリンセスメーカー』/アニメ絵がゲームを進化させる/『プリメ』によるアニメ絵ゲームの大衆化/18禁ゲームと恋愛ゲームとの距離/ストーリー性を得た『同級生』/自分が自分を育てる『ときめきメモリアル』/ワールドシミュレータとしての『ときメモ』/CD‐ROMを一杯にしたサブイベントの豊富さ/『ときメモ』の成功ゆえのSLGの停滞/「熟成」と「飽き」の綱引き/ラストサムライだった『ときメモ』/重厚長大の枷から逃れた『ラブプラス』/「時間」がリアルとゲームを重ねあわせる/「同期」と「非同期」がゲームを豊かにする/『どうぶつの森』における「同期」と「非同期」の進化/『ニンテンドッグス』が開いた「ふれあい」の扉/銀河の果てまで広がる恋愛SLG空間
おわりに
登場ゲーム作品略年表

教養としてのゲーム史 (ちくま新書)

教養としてのゲーム史 (ちくま新書)