基本読書

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日本人の9割に英語はいらない

なるほど。
ちゃんと計算で「なぜ9割なのか」に対しての答えが出されている。
ただあまりにもざっくりとした計算でこれで納得する人がいるのかどうか疑問だけど……。「じゃあどれだけちゃんとした計算ならお前は納得するんだ」と聞かれると黙ってしまうのでこれ以上言わない。

うんうんとうなずくことが多かった。

要するに、英語を勉強しても我々日本人は使う機会など多くはない。そもそも「英語が必要だ」と誤認することによって、多大な打撃を受けているのだ、ということだ。これは全くその通り。

たとえば冒頭で紹介されているエピソードにインドは19世紀から高校も大学も授業はすべて英語で行われているというものがある。「だからそれだけインドは進んでいるんだ、最近よくインドがすごいっていう話も聞くし」となるかと言えばそうではない。

インドの教育が英語で行われるようになったのはシンプルに「地域によってそれぞれ使う言葉が異なり、大学の授業をそれぞれの言語で行うことが不可能」だからである。インド国内では「専門教育が英語でしか提供されない環境では、他人のコピーしか作れない」と指摘する人もいるぐらいだ。

言語を奪われるというのは一つの文化的侵略であるといえる。
日本語だけでやっていけるのならば(そして幸いなことに、僕たちは日本語だけでやっていける環境が存在している。)それにこしたことはないのだ。むしろ、ここで最初の主題に返ってくるわけだが、必要もないのに英語を勉強することは「無駄な投資をしている」という点で有害ですらある。

社内公用語が英語になる例などが一時期盛んに報道されたが、そこでたどたどしく英語を話している人たちが実際に英語を使う機会がどれほどある? と考えると、そんなものはないという答えがすぐに出てくるだろう。それなのに日本人同士でたどたどしく英語を話さなければいけないというのならば、無駄だ。

僕は海外で暮らした経験があるからわかるけれど、英語というのは使わざるを得ない状況に押し込まれれば、必要なだけの英語力は意外とすぐに得ることが出来る。本書でも書かれているが、「明確な目的意識がないのに英語を勉強する」ことはまったくの無駄とは言わないものの非効率だと個人的にも思う。

あと基本的に会話って「自分以外の人がいて初めて成立するもの」で、「自分以外の人」が想像以上に重要な点を担っているのね。ようするに、相手が積極的にこっちの話を聞きたい、と思ってくれているなら、どんなにクソみたいな英語でも会話は出来る。一方で、相手がこっちの言うことなんかどうでもいいと思っているんだったら当然会話なんて成立しない。

だからこと会話に限って言えば、本当に重要なのはどれだけ自分の中に相手にとって価値ある物を出せるか、ってところにある、とは実感した。陽気さでも日本の文化でもなんでもいいけど、それがないのに英語だけうまくなっても、あまり面白くないと思う。

また本書が言うほど僕は英語が必要ないとは思わない。
本書は基本的に「今」の話をしている。
たしかに今は英語なしでもやっていけるのかもしれない。
しかし10年後、20年後、30年後はどうだろうか? 
日本の産業が今まで日本国内だけを相手にしてやってこれたのは、日本人の一億を超える人口があったからでは? これから先、人口が減って言った時に国内需要だけで利益を出せなくなったら、本当に日本語だけでやっていけるのかどうか疑問を感じる。

さらにこれから先ウェブが発展途上国にも敷かれていった先にあるのは「英語による巨大な知の海」である。そうなった時に英語が出来ないのは巨大なネットワークへのアクセス権を失うことなのかもしれない。いや、すでに目立たないだけでアクセス権は失われているのだ。

まあ、ピンチだ!やばい!、そうなったらがんばって勉強すればいいだけの話だ。「そうなってからじゃ遅いんだよ」とはよく聞く話だが、津波でもないんだから、即死につながるわけではない。必要に駆られればみんな驚くほどの吸収率で勉強するさ。今はとにかく英語なんて勉強しないで楽しく、本でも読んで楽しく過ごそうぜ。というのが今のところの、ぼくの結論。

日本人の9割に英語はいらない

日本人の9割に英語はいらない