富野由悠季監督が書いた映像論。
これが面白い。基本的にコンテの演出論として、アニメーターに向けて書かれているのですが、ただの視聴者でも充分に楽しめると思います。それだけではなく、「物語」を作ることを志している人にも有用な内容になっている。
僕もよくアニメを観ますが、「つまらないアニメ」と「面白いアニメ」を言語化して語ることが凄く難しいと思っていて、どうしたらそれがわかるんだろうなとぼんやり考えていたのです。僕たちはときに、とても慣れ親しんでいるものがあっても、それが実際にどういう風にできていて、どういうふうに快楽を感じているのか全く知らないことがある。
しかし、その答えがここにある。映像には「守ったほうが、映像としてよくなる原則」が存在するのです。しかも、それはただ単に当て水量などで書かれたものではなく、人間がどのように映像を感じるのか、といった事実に基づいて書かれている。
一視聴者として楽しめる部分っていうのはそういうところですよね。ただ漠然と面白いとかつまらないと思っていたことが、ちゃんとどういう理屈でそう思っていたのかがわかり、思っていたよりも奥深い世界がそこにあったことに気がつく。
僕が本を読んでいて興奮してくるのはそういう、「自分が想像もしなかったところに広い世界があった」というような、自分の世界が拡張されていく感覚なんです。アニメのように広く親しまれているものが、ほとんど誰にも理解されていないのは、残念なことのように思えます。
そして「物語を作る」ことを志している人にもぜひオススメしたいと書いたのは、「映像」が深く物語と結びついているからなのです。アニメではコンテという一連の流れをラフに書いたものを作成しますが、この「コンテを切る」ことが何を目指すのかというと、「物語を語ること」なのです。
「物語」は「映像」で語ることができます。本書に書かれているしごくわかりやすい例をいくつかあげると、俯瞰(上から見下ろした画)は弱い印象、総論的印象を与えます。逆にアオリ(下から見上げた画)じゃ強い印象、怖い印象。
動きの方向性としては、右から左へ向かうものは強い印象を与え、左から右へ向かうものは逆行する現象の為、そのものが強いという印象を与えます。しかし、ただ左にあるだけのものは安定と下位の対象です。
「なぜ右から左へ向かう物に対して強い印象を与えるのか」という答えとして、本書では
「心臓という左にあるもっとも大切な臓器を守りたいという本能があるために、人間は本能的に、左にあるものを守ろうとします。ですから、左から右に移動して見えるものに対しては、あえて動こうとするものだから、上昇しようとしている指向性があると感じてしまうのです」
と説明しています。もう少し詳しく書きます。左に心臓があるために、左から来るものに対してはやばい、緊張して防御しようとする意識が働きます。右側からくるものは、右利きが多いこともあって安心の象徴です。右側からくるものは左からくるものに比べて安心できるため、『”大きなもの””強いもの”というものは、右側から登場させるようになったのです』
左では逆に虐げられているもの、弱者を書きます。最初は虐げられている主人公などが、だんだんと相手と同等の力を得ていき、最後には逆転する、という流れを書きたいのだったら、最初は左から登場させだんだんと右側に移動させていくなどといった描き方ができるでしょう。
これは本書で語られていることのごくごく一部で、実際はもっと多くの原則があります。そうか、アニメっていうのはそういう仕組になっているのか! と驚くこと多数。アニメをもっと楽しみたい人は読んでみたらいいと思う一冊。

- 作者: 富野由悠季
- 出版社/メーカー: キネマ旬報社
- 発売日: 2011/08/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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