新宿にあるブックファーストに入ってみると、そこには著名な方々がどういう選定基準かはわからないがオススメ本を一冊選定し、それを並べて売っているコーナーがあった。その一角に円城塔先生が推薦したこの『不滅』と短い推薦文のようなものが載っており、表紙に惹きつけられたこともあって手にとって本屋を出た(万引きしたわけではない。買って出た)。
円城塔先生の紹介文はとても紹介文とはわからないような意味不明なものであるけれど、興味を引き立てるという意味では立派に販促分として機能している。そして僕は円城塔先生の小説家としての力量は言わずもがな、書評家……というよりかは面白い本を教えてくれるおじさんとして信頼しているのだ。短い紹介文なので引用してみる。
繰り返し蘇る記憶。忘れられない身振り。身振りがそのものが存在するかのように。きっかけから流れ出し回復される歴史。存在するはずのないものが存在をはじめる瞬間。かつて、やがて、いつか、今このときに、目にしているもの。
円城塔のこのような文章のうまいところは、まず言葉の選択がたくみでありそれだけで最後まで読み切ってしまうところ。そして意味不明なのだがこの『不滅』を読むことによって僕にもこの短い言葉の羅列に意味が見いだせるようになるのではないかという希望。これを見せられるためについつい釣られてしまう。
おっと、前置きでぐだぐだ書きすぎてしまった。この『不滅』は傑作。
ただこの素晴らしさというのは非常に伝えにくい。あらすじから簡単に紹介すると、<私>(この著者は作中では作家として登場するがまあほとんどミラン・クンデラのようなもの)がパリのプールサイドにいます。そこで<私>は六十歳か六十五歳に見える女性の一瞬の仕草を見て、アニェスという一人の空想上の人間を想起します。
これはアニェスに単を発した「仕草」の物語であり、アニェスを取り巻く家族、愛の物語であり、ゲーテとゲーテの不滅に恋焦がれる女性を書いた歴史を「不滅」という観点から捉え直した物語であり……このようにいくらでも続けていけるような底の見えない物語です。概略だけ説明してしまうと、なんてことないように読めるでしょう。
けど実際その「中身」ときたら。僕は未だかつてこういう文章を読んだことがなかったので驚きました。こういう文章としか言いようがない文章なんですよね。人によって文章の手触りみたいなものが変わってくるのは当然ですが、ミラン・クンデラの場合はなんか、使っている道具は本当に僕と同じものなのか? と疑いたくなってしまうような異次元の文章!
少し引用してみましょう。最も印象的な最初の「仕草」の場面です。ここはあまりにも凄くて、ここだけでもいいから立ち読みしてもらいたいぐらい。これはねえ、もう、文章が凄いとしかいいようがない。最初から引用しようとすると長くなりすぎるので少し状況説明。視点主は最初に述べたようにプールサイドでひとりの老婦人を見つめている。
彼女は水着のままプール沿いに立ちさってゆくところで、水泳の先生の位置を四メートルから五メートルほど通りこすと、先生のほうをふりかえり、微笑し、手で合図をした。私は胸がしめつけられた。その微笑、その仕草ははたちの女性のものだった! 彼女の手は魅惑的な軽やかさでひるがえったのだ。戯れに、色とりどりに塗りわけた風船を恋人めがけて投げたかのようだった。その微笑と仕草は魅力にみちていたが、それにたいして顔と身体にはもうそんな魅力はなかった。それは身体の非=魅力のなかに埋もれていた魅力だった。もっとも、自分がもう美しくないと知っているにちがいなかったとしても、彼女はその瞬間にはそれを忘れていた。われわれは誰しもすべて、われわれ自身のなかのある部分によって、時間を超えて生きている。たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか自分の年齢を意識してはいないし、たいていの時間は無年齢者でいるのだ。(……)その仕草のおかげで、ほんの一瞬のあいだ、時間に左右されたりするものではない彼女の魅力の本質がはっきり現われて、私を眩惑した。私は異様なほど感動した。そしてアニェスという単語が私の心に浮かんだ。アニェス。かつて私はその名前の女性と知りあったことはない。
この仕草から物語は始まるのではない。この仕草こそが物語なのです。それ以上に僕は語る言葉を出せないな。ちょっと、これは本当に言葉を尽くして説明したいところなんだけど。よくわからないんだけどとにかく凄いんだぞ!! としか言えないものを僕もいくつか出会ってきて知っているけれど、これはそういうタイプの物語なのだろう……。
ちょっと一日二日考えてもう少し詳細に書けそうなら追記で書いていこう……。
- 作者: ミランクンデラ,Milan Kundera,菅野昭正
- 出版社/メーカー: 集英社
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