基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ニーチェ: 自由を求めた生涯

題名はご立派で読み通すのに時間がかかりそうに思えるかもしれない。しかし中身はバンド・デシネ。ベルギー・フランスを中心にして広まっている漫画をそういうらしい。初めて知った。だから気軽に読める。ニーチェについてちょっとかっこつけて語りたいならちょうどいい。今の時代ニーチェを読む理由なんてそれぐらいじゃないか? 読むべし。

副題に『自由を求めた生涯』とあるようにニーチェの人生を一冊の漫画にして表現している。オールカラーということもあって、こういうのはデカイ組み方で読むのが良いと思うが本書は文庫。小さくて魅力は損なわれているし文庫版に収める為に台詞をけずったところもあるという。悲しい。

それでも物自体はとても面白く、要所要所でニーチェ哲学が語られ、身振り手振りが激しいし、色の使い方も面白い。上にあげた「文庫版サイズで削られている」という一点をのぞけばどれも素晴らしい。解説は『暇と退屈と倫理学』が最近売れている國分功一郎さんで、ニーチェ哲学の要点が開設されていて良い。

しかしニーチェの生涯はあまりにもひどい。ぼくも昔ニーチェの本読んでおお凄いことを言っているけれどこの人の人生はクソみたいだな、と思ったけれどこうして改めて一連の流れとして読むと悲惨なものがある。解説にもあったが、その生涯にあって傍からみていて幸福そうだと思えるのは数年のことに過ぎない。

簡単にニーチェの生涯を概略しよう。1844年ザクセン州歴研に生まれる。とても頭が良かったようで24歳にしてバーゼル大学の教授に就任し古典文献学を教えるようになる。本書解説によれば論文の口頭試問も受けないまま大学を卒業できたぐらいの実力だったという。しかし初の出版物である『悲劇の誕生』を発表すると文献学のやり方ではなく哲学のやり方で書いているとして誰もに酷評され、ニーチェ教授の授業に出席する生徒はわずか2人になってしまう。

この箇所は漫画で描かれていて読むとむなしい。その後も何冊も本を出すがてんで売れず想い人にはこっぴどくフラれ1873年からは体調も悪くなる。慢性的に悪かったようで教授職も辞し、もろもろの不運というか招き寄せたような気もするが悲しい事例が重なって1889年に発狂する。

道端で御者に鞭打たれている馬にかけよって馬をかばい、「私はブッダであり、ディオニソスだ!」とわけのわからないかっこいいポーズを決めながら聴衆に語りかけている(完全に発狂している)ニーチェが本作では書かれている。この後どうもニーチェは昏倒したらしいがそれは描かれていない。ここで終わっていればまだいいのだけど……。

その後ニーチェは地味に評価を受け続け、最終的には今のような「凄い哲学者ニーチェ」といった評価を確立していったようだ。しかしその時にはもはやニーチェは発狂していてそういった物事を理解して喜ぶことさえ出来なかった。それどころか妹のエリザベートニーチェの著作を占有し誰にも触らせず利益をあげ、自分の都合のいいように内容を改変し発表しニーチェが語っていないことをさも語っていたようにした。

有名なのはニーチェ反ユダヤ主義などではなかったのに、エリザベート反ユダヤ主義的な方向へ思想をねじまげてしまったことだろうか。悲しいねえ。本作のラストはニーチェの葬式に大勢の人が押しかける場面の後に、ニーチェが「死んだらお葬式には友達しか呼ばないで欲しい。野次馬はダメだ。約束してくれとにかく司祭か誰かが来て私の体の上でくだらない話をするのは無しにしてくれ。まやかしは無しで。異教的誠実さの中で埋葬されたいんだ」

と語る場面で話は終わっている。これもあまりに悲しい。彼の望みは何も叶えられなかったようにその生涯をみると思う。

しかし副題の『自由を求めた生涯』というのはなかなかうまいものだなと思った。本書のテーマには「自由」がある。ニーチェといえば「神は死んだ」という表現が有名だがこれは要するに宗教的不自由さからの自由を求めたが故の表現だろう。ニーチェニーチェが生きていた時代に、誰もが信じていた価値観を「違うんだぞ」といって破壊して廻っている。

それはある意味では思想的不自由さからの自由を求める行動なのだろうと思う。しかしなあ、ニーチェさんの人生は追いたくないなあ。自由に思考しすぎるのも問題である。あまりにも偏見なく現実を見ようとすると人は狂うのかもしれない。

ニーチェ: 自由を求めた生涯 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ: 自由を求めた生涯 (ちくま学芸文庫)