基本読書

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ケイ素生物は存在不可能なのか?

『スプーンと元素周期表: 「最も簡潔な人類史」への手引き』という本を読んでいるのですがこれがおもしろい! 化学なんてわけのわからない、面倒くさい暗記科目としか思っていなかった高校時代の自分に読ませてあげたい、素記号が意味を持って生き生きとしてくる本だ。元素、原子といったものを網羅的にカバーした本であり、それが世界そのものを形づくっているという根本的なイメージを抱かせてくれる。

「化学」で一冊あげるとしたらこれだというレベルの、オールタイムベストノンフィクションだ。まったく今まで知識がなかった分野なので少しずつ頭に回路を作りながら読んでいるため時間がかかる。ただ読んでいる途中でどうしても触れておきたいトピックが出てきたのでここにまとめておく。それがSFファンにとっては夢のひとつであるケイ素系の生物の可能性だ(というか、不可能性か)。

この可能性を探るためには前提知識がいくつか必要で、なかなか難しいので順をおって自分に納得させながら進んでいこう。

【前提知識】

原子は必ず電子を持っている。原子は幾つかの階層にわかれており、その階層のことをエネルギー準位と呼称し、そこに枠が余っている場合はできるかぎり内側から電子を蓄えようとする。準位ごとにいくつ電子が入るかが基本的には決まっていて、最も内側は二個、ほかの準位では八個のことが多いようだ。つまり八つの電子を持っていたら、内側にまず二個入って、外側に六個入り、あとは二個が空いた状態になる。そこを埋めるためには例えば別の「二個分だけ余っている」元素と結合したりする。

原子は手持ちの電子をエネルギー準位の低い内側から先に埋めたうえで、電子を手放すなり、共有するなり、盗むなりして、最も外側の準位にしかるべき数の電子を確保する。問題は元素ごとにいくつの原子を必要とするかが大きくことなることで、電子を「埋めやすい」性質をもっているやつもいれば、「埋めにくい」性質を持っているやつもいる。電子をそつなく共有ないし交換する原子もあれば、かなり汚いやり口を使う原子もある。

【ケイ素と炭素】

さて、以上の知識をもってケイ素と炭素をみてみると、そもそもこの二つは結構似ている。似ているからこそ、炭素生命と比較してケイ素生命が存在可能なのではと物議をかもすきっかけにもなる。というのも炭素は六番元素で、ケイ素は十四番元素だ。その差は八である。ケイ素の場合、二個の電子が最初の準位をみたし、八個が次の準位を満たす。余りは四個分。炭素も二個の電子が内側の準位を満たし、余りは同じく四個。この余りが四個というのが重要なのだ。

炭素は元素の中では最も使い道の多い元素だ。まず炭素はアミノ酸の骨格をなしていて、アミノ酸がビーズのように連なるとタンパク質に進化する。どのアミノ酸も一方の端に酸素原子を、反対側に窒素、そして中央に炭素原子を二個持っている。窒素はとりあえずおいておくと、酸素原子は八番元素なので最初の二つで準位をひとつ満たし、余りは六個。八個のエネルギー準位を満たすために、別に二つの電子を酸素は探す。二個ならば見つけることがそう難しくはない。

一方で炭素原子は最初に説明したとおり四個外側に持っている。なのであと四つ、自身のエネルギー準位を満たすため探すことになるが四個見つけるのは大変らしいのだ。大変難しいからこそ、炭素はなんでもつかまえようとする。この「四個エネルギー準位を埋めるのは難しい」、だからこそ「炭素は他の元素とくっつきやすい」という部分が再重要だ。つまるところ、炭素は自らの心の隙間を埋めるために誰にでも股を開く淫乱原子なのだ。

この炭素の結合のしやすさこそがアミノ酸、ひいてはタンパク質(そして生命体)の元となる絶対条件だ。アミノ酸の幹にある炭素原子が、別のアミノ酸の窒素と電子を共有し、連結が連結をつないでいった先にタンパク質へとつながっていく。ケイ素が注目されているのは、同じ四個余り元素としてこうした炭素の柔軟性という特性をある程度持ち合わせているからだ。四個も余っている、だからこそ他の元素と結合しやすく、炭素生命とはまた違った形で生命体を構築できるのではないかと。

しかし本書では結局のところ、炭素とケイ素は明らかに別物であると説明する。

【炭素に出来てケイ素にできないこと】

地球の生命体はすべて炭素生命体なので身体から炭素を出し入れすることで生きる。これは気体の二酸化炭素を介して行われる。いっぽうケイ素も自然界ではほとんどの場合酸素と結合している為、仮にケイ素も気体として存在するなら、呼吸をするようなイメージでケイ素を出し入れする生命体を思い浮かべることができるだろう。

しかしこれは難しいという。なぜなら二酸化ケイ素は二酸化炭素とはちがって、二千度を超えても固体のままだ。気体になるのは2203C°。とても生命が生まれて生き延びられるような温度ではない。じゃあ固体のままがんばって代謝すればいいと短絡的に考えてしまうが、細胞呼吸のレベルでは固体を呼吸するのはうまくいかない(まあ固体を呼吸すると言われると難しそうだね。ひどい理解だが。)。

ケイ素生命体を、炭素生命体と同じく組織やらを修復するためにケイ素を出し入れする形で組み立てるのはどうにも難しそうである。

【なんとかならないの?】

気体を取り込む形での炭素生命体踏襲型ケイ素生命体はどうにも難しそうである。

ではほかの方法でなんとかならないものだろうか。ここでまたケイ素生命体にとっては不利な情報が出てくる。もっとも豊富なケイ素である二酸化ケイ素は宇宙で豊富な液体である水に溶けないのだ。

水に溶けないことの何が問題なのか。それは血液のような液体をつかって栄養および老廃物を循環させる進化論的に有利な方法を諦めることが必要になる。またケイ素は炭素よりかさばる。なにしろ炭素が六番元素なのに対して、十四番元素なので重たい。しかも頑強な状態である二重結合を作ることができない(原子二個が電子二個を共有すると単結合、四個を共有すると二重結合になる)。

ケイ素生命体……無理なのかな? 一応ありえるパターンも考えてくれているがだいぶおざなりだ。

ケイ素生物などありえないと予想するほど私は愚かではないが、超微小シリカを絶えず吹き出す火山が存在するような惑星で、ケイ素生物が砂粒からシリカを精製しながら活きるというのでなければ、この元素は生命維持の役には立たない。

「99.9999%、ほとんどありえない」といった感じ。なんとかケイ素が気体にできればいけるのかもしれないが、そんな過程を積み重ねなければいけないぐらいケイ素で生物を作ることには現実感がない。悲しい結論だがケイ素エイリアンは諦めたほうがいいのかもしれない。まあいいさ。ケイ素生命だけがエイリアンではないのだから。

本書が素晴らしいのはこのように「元素? どうでもええやん」と思ってしまいそうなところを、その仕組を理解することで現世生命の存在基盤や、架空の生命体の存在がどのような仕組み、エネルギーの出し入れによって成り立っているのかその知識を果てしなく巨大な知識へと接合してくれることだ。そこには周期表をただ暗記させられるような無味乾燥な学習はどこにもない。

スプーンと元素周期表: 「最も簡潔な人類史」への手引き

スプーンと元素周期表: 「最も簡潔な人類史」への手引き

スプーンと元素周期表 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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