基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ただ消費する消費者が経験と創造を求め始めたのはなぜだろう

今就活している世代の仕事への意識ってどうなんだろうと考えているうちに思ったことをメモ的に書いてます。あとワークシフトという本を読んでいたのだけど、そこで「消費」と同じぐらい「経験」や「創造」が重視されているとあって、でも理由が書かれてなかったのでそれを考えてみてます。でも実感としてもそうだよね。今はみんな文章にしろ絵にしろ、プログラミングにしろ創り手になりたいんだよ。

これから先は「消費」と同じぐらい「経験」や「創造」といった観点が重要になってくる。なぜ「消費」がおされはじめたのか? そもそもなぜ消費がここまで広まったかも疑問だ。考えてみるに、資本主義経済という全てのものにお金がつけられるようになったことで、「お金を使う」ということがひとつの娯楽になった。誰もが━━子どもでさえもお金さえ持っていれば平等にそのゲームに参加することが出来る。

消費ゲームと資本主義経済は相性が良かった。それでは今何故「消費」が疎まれ始めたのかといえば、簡単に言ってしまえばみんながその「ゲーム」に飽きたからだろう。誰もが参加して、誰もが平等に手に入れられるのは確かに参加権ということでは敷居が低い。もちろんこれからもショッピングや消費というのは、重要なコミュニケーションツールだったり娯楽として生き残っていくだろう。

しかし、である。今の若い世代はひたすら「個性を重視しろ」「自分のやりたいことをやれ」といわれてきた。僕達は基本的に何のとりえもないただの人間だが、「世界に一つだけの花なんだよ」といわれて大切に育てられてきたのである。で、そんな風に「僕達私達はオンリーワンなんだ」という気分で大人になっていく一方、「何がオンリーワンなんだろう?」という問いにはほとんどの人は答えられていないように思う。

「君達はオンリーワンなんだ」といっていた大人たちだってその当の子ども達に「君はこんな才能があるね」などと言ってくれることはなかった。ただ「オンリーワンなんだ」というだけだった。いわば「オンリーワン幻想」を植えつけられて育ってきたのだ。

そうやって「世界に一つだけの花」といわれてうふふあははと育ってきても、「実際どこがどう世界に一つだけの花なんだろう?」と就活などで自分のウリをでっち上げる為に自問自答を始めると、「あれ……なにも特徴なんてないんだけど……」ということに気がついて絶望するのである(実体験)。現にFacebookやらMixiやらTwitterやらのプロフィールを見てみればわかるのだが、誰も彼もが「自分は○○と○○と○○が好きです」と好きなものでしか自分を語っていない。

何かを好きであるというつまり消費する対象によってしか自分を規定できないと、オリジナリティ、自分の特徴なんてものは見出すことが出来ない。なぜなら○○を好きな人はこの世にいくらでもいるからだ。そのことにみんな気がついている。だからこそ今は「経験」「創造」の時代なのだ。この世にたった一人、自分がオリジナルであるための特徴を求めて経験と創造を求める。

もちろん消費はこれからも一般的な娯楽であり続けるだろうけど、やっぱりこれからは創クリエイター時代なんだろーなー。いかにして場を提供していくかが鍵になっていくだろう。

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉