基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

街場のアメリカ論

オスプレイの話、基地の話、尖閣問題などが持ち上がるにつれて、こういうものは「その問題単体」では扱いきれぬものであるということが最近ふむふむと実感を伴ってわかってきた。原理的な(そもそも境界線とはなんぞや)話をふまえていなければいけないのはもちろんだが、それ以上に物事は横につながっていたり底に流れているものがあるのだなあということである。たとえばオスプレイの話は、「それが安全性が保証されておらず危険だから」問題になっているわけではない。

まあこれは押井守監督のまったくの受け売りなのだが。オスプレイがこれだけの反発を引き起こしあんな怖いおっさんたちが抗議しちゃうのはこれが普天間問題にからめられているからなのだ。それにオスプレイの配備にいくら抗議しようが日本側にそんな決定権はないので結局配備される。なにしろ問題がまったく別なんだから。で、原理的な問題になってくるとどうしてそもそも基地が日本にあるのかという話になってくる。

尖閣問題も同じで、これだけを見ていると「こっちのもんだ。出るとこ出て話しあえばはっきりする」で解決しそうなもんだけど事はそう簡単じゃない。そんなことして強制的に自分のものだと思っているものを取り上げられた人間がどういう感情を引き起こせばわかるように「はい決着」とはならないものだ。で、日米安保をちらつかせたりする微妙な交渉が出てきたりして問題がまたアメリカに戻ってくる。

というわけでいろいろつながってるんだなあと。そういうこともあり、ああそういえば内田先生がアメリカ論の本出していたなあと思い読んだのだがこれは面白い。2005年の本だが、2012年の今読んでも古びるところがないアメリカ論だ。これについては本書あとがきで内田先生も語っているが、アメリカという国が時代がいくら変わっても変わらない点について「なぜ変わらないのか」を書いているからである。時事ネタというのはほとんどなく、あるのはアメリカが起源的に抱えている難問なのである。

なんとも話題が飛ぶので包括的に語るのが難しいのでこんなところで終えてしまうけれどなかなかおもしろいので是非。

街場のアメリカ論 (文春文庫)

街場のアメリカ論 (文春文庫)