基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

遺伝子と環境の相互作用についての2冊

『天才を考察する: 「生まれか育ちか」論の嘘と本当』と『遺伝子の不都合な真実: すべての能力は遺伝である』を読んだ。どちらも言っていることは至極まともで、ようは「天才とか才能ってもんは遺伝もあるし、環境(努力)の要因も、あるんだよ」ということである。前者が「環境」をアピールして後者は「遺伝」の効用をアピールしているのだが、ただどっちもそれぞれ微妙に空々しい部分があってこの生まれか育ちかという問題を複雑にしているように読める。下記にこのなんだかめんどくさい難しさについて二つの本を比べながら書いて、紹介していきたい。

どう問題が複雑になっているのか。たとえばどちらも「遺伝」と「環境」の相互作用で人間が創られていくことを否定するものではない。ただし立場は異なる、とはさっき書いたばかりだがそのせいでそれぞれの主張がどうにも変てこに見えるのである。前者の『天才を考察する: 「生まれか育ちか」論の嘘と本当』では天才と呼ばれている人達が実は途方も無い時間を特定の分野にそそぎこんでいることなどを例に挙げ、環境によって人は如何様にもかわることができると繰り返し主張する。

ただ僕たちの誰もがまっさらな白紙の状態で産まれてきて努力さえすればどんな天才にだってなれると言っているわけではない。わけではないのだが、「じゃあどれぐらいが遺伝子に左右されているわけ??」というところの話がまったくされない(わからないと言っているがそんなわけない)ので「環境がすべて」と言っているように、どうしても読めてしまう。

たとえば棋士を目指す子どもたちは幼少時から信じられないぐらいの時間を将棋につめ込むが、実際棋士になれるのは極わずかな人達で、そこに努力の差があるのかといえばそうとはいえないだろう。身長なども「食べものによって身長に大きな差が出る、身長さえも環境によって決まるのだ」と書いてあいるところなどもあるが、食べものに不自由していない日本人とドイツ人を比較しても平均身長差は歴然とあるので詭弁臭い。

日本人男性の平均身長は170センチ、ドイツ人男性は180センチだ。当然食べものの差などもあるから、これのどこまでが環境の違いなのかは正直僕にはよくわからないのだけど歴然とした差がある。問題は、遺伝子はこれにどれだけ関与しているのかという点だ。これを面白い実験で教えてくれるのが『遺伝子の不都合な真実: すべての能力は遺伝である』だ。

こちらは反対に「人間の能力や性格はあらゆる面で遺伝子の影響を受けている」ということを簡単に説明した一冊。この本で紹介されているふたごの研究法がある。一卵性双生児と二卵性双生児の類似性を比較するというのが大雑把に言ってしまえばその方法だ。

もう少し詳しく説明しよう。一卵性双生児は当然ながら1つの受精卵から生まれる。なので遺伝情報はまったく同じだ。一方二卵性双生児は当然ながら2つの受精卵から別々に生まれる。よって遺伝情報は普通の兄弟と変わらず、50%といったところだろう。双子同士なので一卵性双生児と二卵性双生児は環境も同じはず。でも片方は遺伝子の類似性が100%で片方は50%だ。

なので二卵性双生児と比べて一卵性双生児のほうがよく似ているとしたら、それは環境に左右されない遺伝子の影響によるものだとするのがふたごの研究法における基本的な考え方だ。これは読んだ時なるほど、と思った。で、この方法でみていくときれーに指紋の型とか、体重とか、身長とかが、二卵性双生児の二倍、一卵性双生児の方が似ているのだ。

一卵性双生児がよく似ているからといっても、もっとも類似率が100%(双子の調査をしたら全員体重が一致していた)なんてことはないわけで、だいたい0.8割ぐらいを推移している(80%はだいたい一致しているわけだ)。おもしろいのがIQにもこの相関性があらわれているところで一卵性は0.72、二卵性は0.42となっている。

ここでもやっぱり一卵性の方が類似率が高くなっており、遺伝によって傾向が左右されているようにも見える。ただし身長や体重と違うのは2:1の関係になっていないことで、これは「環境が持っている要因が大きいこと」を明らかにしているとこのふたご法では解釈する。本来なら0.36ぐらいが、二卵性にとってはちょうどいい値になるのだがそれよりも相関性が高いということは環境によって似る要因が大きいのだろうというわけだ。

この影響範囲の研究はかなり広範囲にまで渡っていて性格から自殺願望、さらには収入にまで関係している。と割と「うおーそうなのかー知らなかったー」って感じ。まあ具体的にどれがどれだけ関係しているのかというのは読んでもらえればと思います。一方、違和感を持ってしまうのは著者が「イチローは遺伝的に優れている人」であるといいきってしまうようなところなんですよね。

えーそれはどうなの。イチローはだって小学生の頃の作文にもあったように人一倍練習する子どもだったわけじゃないですか。いわば誰よりも野球に打ち込んできたわけでそれのどこが遺伝子の影響なのか全然わかんないじゃん、って思うわけですよ。なんか言いたいことと違うような気がするな。いや、とにかく統計的情報から個別の具体例に対して「遺伝的に優れた人」と言い切ってしまうのには違和感がある。

ってそういうことが言いたいわけでもなくて……。統計を悪者にしたいわけじゃない。僕がずっと持っている問いは「強い向上心をつくる潜在的な要素は何か」といったところなのだけど結局それはわからないのだ。天才はみんな飽きるということを知らないかのように物事に打ち込むが、いったいなにがそうさせるのか。それも遺伝なのだろうか?? 底抜けの努力が発現する理由がわからないのに「遺伝子の影響」とかいっていいのかなっていう疑問なのかもしれない。

と、それは二冊読んでもわからない。二冊読んでわかるのは「遺伝説」によるのも「環境説」によるのも、どちらにも強力な神話があるということだ。

「天才」がいることにすれば、僕のようなあまり誇るべきところのない人間は精神的に楽である。自分には才能がないんだと諦めてしまえばいい。一方で努力すれば遺伝子を超えられる、という物語もまた人の心にやさしい。どんなに逆境にあっても努力さえすれば物事は好転していくし宇宙飛行士にだってなれると思えば誇らしい気持ちになる。

極端な話だけど努力を肯定しすぎれば努力しない奴はクズだ、となるかもしれないし遺伝子の支配が多きすぎると勘違いしても無気力な考え方になってしまうかもしれない。バランスをどうとるか、というのが実のところいちばんむずかしいのだ。村上春樹の1Q84に出てきた台詞をよく思い出す。

重要なのは、動き回る善と悪とのバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾き過ぎると、現実のモラルを維持することがむずかしくなる。そう、均衡そのものが善なのだ。

もっともこれは科学的問題なので均衡がどうとかはお門違いなのだが。

二冊とも良い本なのでどちらもその事について警鐘をならしているが(遺伝だけでもないし、環境だけでもないのだと)うまく融合させられているとは思えなかったので、この二冊のうちどちらかだけを読むぐらいだったら、読まないかもしくは両方読んでもらいたいと思い二冊同時に紹介させてもらった。これから先もっと遺伝子と環境の相互作用についての研究が進むと面白いな。

天才を考察する: 「生まれか育ちか」論の嘘と本当

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遺伝子の不都合な真実: すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

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