岩田健太郎さん著。感染症の専門家で新書を何冊か出している。考え方が現場主義で役に立つので毎回出ていると買ってしまいます。今回は専門の感染症から、食べもののリスク……もっと抽象的にしてリスクとの向き合い方についての考え方の本。ただまあ構成的にばらばらで、テーマにまとまりがなく、今回はおもしろくなかったかな。個別で見ればおもしろいんですけど全体を通すテーマがなかった。
こんな流れで書かれていきます。最初にレバ刺しがなぜ規制されたのかという検証で次に感染症と菌、そして食べものにおいてのリスクマネージメントについてで、最後に健康本にだまされない! といって健康になれる! 系の本を批判気味に検証していきます。まあこの簡単な要約だけでわかると思うけれど、まとまりがないよねえ。
しかし個別でみていけばおもしろいので悲しいのです。たとえばレバ刺しの話なんて、僕はそもそもレバ刺しなんか食べないので「ああ規制されるの。そうですか。どうぞご自由に」としか思わなかったので、どうして規制されるのかといったことをまったく知りませんでした。
レバ刺し禁止になった直接の原因は2011年に起こったチェーン焼肉店に端を発する集団食中毒事件により5人の死者が出た件です。これはこの店で出していたユッケに腸管出血性大腸菌O111が混入しており、それが原因になっていたと考えられています。この時点で不思議なのがなぜユッケで起こったのにレバ刺しが禁止されなければいけないのかということ。
錯誤がここから始まっているように見えるのですが、議論の道筋が「最終的に起きた食中毒という病気はなぜ起こったのか」から「腸管出血性大腸菌がいるから問題なのだ」になってしまい、元々危険だと言われていたレバ刺しの中にこの菌がいるというズレた結論によって規制されてしまったようです。
ちなみに生食用牛肉の、腸管出血性大腸菌由来の食中毒は10年間の調査でわずか1件で規制するようなリスクがあるとは到底いえません。ようはよくわかっていない人達が問題をよくわかっていないままに「とにかく安全が必要だ」といって臭いものには蓋的に規制してしまったわけでしかもそれがあっさり通ってしまうのだからなんともひどい話です。
大々的に規制することによって「安心感」は与えられるかもしれませんが、もっと重要なはずの「安全」がないがしろにされてしまうという最悪の結果です。安全は技術的、科学的な課題ですが安心は心理的な課題です。もちろん安心がなくていいわけではないですけど、どちらかといえば重要なのは「実際的な身体の安全」の方でしょう。
結局原発だってみんなが安全安全って声を大にしていっていたけれど事故っちゃったわけで。声高に安全だよ〜と唱えていたからみんな「安心」はしていたかもしれないけど内実として「安全」ではなかったわけで。安心したいのはわかるけど根拠なく安心すると安全がひどいことになるということを、痛感せざるを得ない状況のはずなんですけどね。
かといって安全だけを追求していればいいのかといえばそうではないわけで。この安全っていうテーマについては押井守さんのメルマガ『世界の半分を怒らせる』でおもしろいことを言っていたのでちょっと引用します。
日本人にとってテーマって何なんだろうというさ。テーマなしで生きてこれたし、これからもテーマがほしいとじつは思ってないはずだし。あるとすればいまあるのは安全以外のテーマはあるんだろうか、というさ。安全というテーマ以外にいまなくなっちゃってるよね。今回の自民党の選挙だって安全がテーマになっちゃってるんでさ。でも考えてみたら安全ってテーマになるんだろうか? 安全だけではたぶんテーマにならない。ほかのものがくっついてくるとテーマになる。「どうやって安全に」とか「いかに安全に」とか「何のために安全に」とかその部分がないんだもん。安全という言葉だけでは何のテーマにもならないと思う。
「安全というテーマ以外にいまなくなっちゃってるよね」にははっとさせられました。たしかにいま国として話題になる問題って、「それって本当に安全なの。大丈夫なの」ってことばっかりだ。そういえば関連して、昨日読んだ『創造力なき日本 アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」 』村上隆さんの本の中に印象的な文章があった(ドワンゴの川上さんの言葉だが)。「答えの出しにくい世の中では正論が流行する」というのがそれだ。
「安全」をテーマにするのはいちばんわかりやすい「正論」だろう。「安全の為に規制をしなければいけないんだ。おまえが反対することによって誰かが死ぬかもしれないんだぞ!」と言われたら、反対しにくい。「安全のために」と言われたら文句のつけようがなくなってしまう(もちろん安全にはコストがかかるものであっていくらでも反論自体はできるのだが、それをすることによって悪者になる)。
でも押井さんのメルマガにあるように、問題は「何のために安全に」するのかといった部分だ。たとえば登山をする人間に向かって死ぬ危険性があるから登山を規制するなんて言ったって仕方がないように、安全だけではテーマと足り得ない。『健康や安全は手段であり、目的ではありません』と本書ではいうが、まさにその通り。
「なんのためにリスクをとり、なんのために安全をとるのか」その配分を考え、実行していくことが必要なんだろうな。
「リスク」の食べ方: 食の安全・安心を考える (ちくま新書)
- 作者: 岩田健太郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/10/09
- メディア: 新書
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